「先日、聖教新聞に掲載された創価大学合格者のうち、『秋山謙一郎』という名前を、自分たち学会組織は掌握していなかった。それで気になって調べてみると、未入信だそうなので、ぜひ学会に入って欲しい。一度、学会の座談会に来て欲しい」

 以降、しばらくこうした訪問が相次いだ。その中には、「将来、創大受験する子どもに話をして欲しい」というものも少なくなかった。令和の今とは違い、いまだ昭和の残り香が強い平成のはじめの時代である。学歴偏重主義が蔓延っていたこの頃、東大をはじめとする難関校に合格すると、家に見知らぬ教育ママがやってきて、「うちの子に合格体験談を」「ぜひ家庭教師をしてください」と懇願するという話を、彷彿させるものがある。

東大は勉強ができれば入れる
創価大は使命がないと入れない

 とにもかくにも、そうして訪ねてくるようになった学会婦人部員の1人が話したこの言葉を、今でも私は折に触れて思い出す。

「東大は勉強ができれば誰でも入れる。でも、創大は勉強だけでは入れない。信心だけでも入れない。池田先生と奥様をお守りするという、強い使命がある人しか入れない。だから、創大はすごいのよ」

 かつて学会といえば、「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されたものだ。これは戦後すぐの時代から高度経済成長期にかけて、地方から都会へと出てきた貧困層や病気に悩む人が、数多く学会へ入会したことに端を発する話である。この貧困や病気を「宿命」と呼ぶ。その宿命に悩む人たち、そしてその子、孫の世代にとって、それを転換できる具体的でわかりやすい登用試験の場が、創価大学への入学に他ならないのである。

 そのため、熱心な学会員、中でも婦人部員たちにとって、池田先生と奥様がお創りになられた“創大”に子どもを合格させ、無事卒業させることは、「一家の宿命を転換(仏法用語で、変えがたいと思われる運命も、正しい仏法、すなわち創価学会の信仰で、これを転換できるという意味)できる」という考え方へと結びつく。

 とはいえ1991年当時、主な予備校では、創価大の偏差値は私が入学を許された教育学部で53から55程度にランキングされていたと記憶している。経営学部は48から50程度、経済学部は50から52、看板学部といわれた法学部ですら53くらいだったと思う。