私が育った環境からの影響がとても大きいと思います。父の家系は写真家や画家などファインアートを職業にしている親戚が多く、父も写真家でした。母方は丹後ちりめん職人で、織り機をガシャガシャと鳴らしながら生地を織る風景を間近で見ながら育ちました。アートとモノづくりに関わる家族の中で、自然と受け取ってきた刺激や芸術に対する関心があったのだと思います。

私が演劇を志すようになった原点として思い出すのは、小学1年生の頃、家族とテレビで観て、幼いながらも衝撃を受けたチャップリンの映画『街の灯』(1931年)です。歌あり、ダンスあり、パフォーマンスありの素晴らしいエンターテインメントでありながら、貧困や障害を乗り越えて共に支え合って生きていく人々の姿を描いていて。

非常にパーソナルな物語をパブリックな価値に昇華している素晴らしい作品だと今でも思うわけですが、6歳か7歳だった私もいたく感動しました。「こんな表現を使って、世の中をよくしようとしている大人がいるんだ」と。

「演劇」という芸術を通じて、社会に働きかけたい

──幼い頃から“社会に対する目線”を備えていたのですね。

休みの日に家族で出かけていたのは遊園地やプールよりも写真展。それも水俣病をテーマにしたユージン・スミスのような、子どもらしからぬ作品をぼんやりと眺めていた体験が影響しているのだと思います。10代半ばの頃に話題になった報道写真もよく覚えています。