けど視聴率は良かったし、スタッフからも「関根くん! 良かったよー!」なんて言われて、むしろ「僕のカマキリが貢献してるんだ」くらいに思っていました。嫌われてるなんて全然知らなかったわけ。だから、あの頃SNSがあったら、僕はとっくに消されてましたよ(笑)
──でもそう考えると、関根さんは素人参加型番組がデビューのきっかけでしたから、いまで言うとYouTuberっぽいところもあったかもしれませんね。
あぁ、ほんとそうだね! 当時はみんな芸人さんに弟子入りして、何年かカバン持ちして芸人になってましたけど、僕は全然、芸人になる気なんてなかったんです。ただ、思い出づくりに『ぎんざNOW!』(1972年10月〜1979年9月TBSで放送)の「しろうとコメディアン道場」に出たら、5週勝ち上がって初代チャンピオンになっちゃった。そうしたら次の週からレギュラーで出演させるんですから(笑)
それを観た学生たちが「あの番組で勝ち抜けば芸能人になれる」って、バーっと火を点けちゃったの。小堺(一機)くん、柳沢慎吾くんが出てきて、とんねるずもその次の『お笑いスター誕生』で優勝して……みんな芸能界に入ってきた。
それで頭の良い人が気づいたんでしょうね。「師匠を通さなくても、世の中には面白いヤツがいっぱいいるぞ」と。そうやっていろんな芸能事務所が学校をつくって面白い人を吸いあげて、どんどん芸人が増えていった。“ビッグバン”ですよ。
後輩たちがのびのびとやれるようにお膳立てをしたい
──新しい若手芸人が次々と登場する時代ですが、「カンコンキンシアター」ではキャイ〜ン、ずん、ラッキィ池田さんなど長年のつきあいとなる芸人さんが多いですね。
そうですね。飯尾くんなんてあまりにも地味で、舞台袖から飯尾くんが出てくると「飯尾出てます」って、電光掲示板でお知らせしてたんですよ、目立たないから(笑)。それがいまやカンコンキンのエースですからね。やっと世間がその実力に気づいたというか、バラエティにもドラマにも出て、素晴らしいですよ。こんな日が来るとは思わなかった。
──後輩芸人のみなさんからすると、関根さんは上司みたいな感じなんですかね?
いやぁ、先輩みたいな感じですかね。仲間というか。だから別にアドバイスするというより、彼らがいちばんのびのびとやれて、ウケるようにお膳立てをする、と。ショッピングモールみたいなものですよ。店のエリアを提供して、「売上下がったら出ていってもらうよ、他の人と交代するよ」って(笑)