──それをYouTubeでやろうとは思わなかったのですか。
いや、YouTubeに上げるような内容じゃないんですよ、特異すぎて。くっだらなくてバカバカしくて強烈で、ファンの人たちにしかわからない。僕のイメージダウンになっちゃう(笑)
──ある意味ずっと、カンコンキンシアターで成立していたようなディープな世界ですね。
そう、あれは「秘密結社」ですから。インドカレーでたとえると、地元の人が食べるのと旅行者が食べるカレーは違うわけですよ。テレビの視聴者は、誰でもチャンネルを合わせればスッと観られる。観ようと思って観ているわけでもないときもあります。
ところが舞台は、わざわざ予約してお金を払って、シフトを代わってもらったりして「何月何日何時に」って予定を空けて、終演後だとちょっと遅くなるから17時くらいに夕飯食べたりして、全神経を集中して来られるわけです。旅行者と同じカレーじゃダメなんです。スパイスがスパーンと効いているものじゃないと。
地球儀みたいに僕にもいろんな面があるとしたら、NHKの朝の番組ならいちばんさわやかなところを向けて、舞台のときはこう、いちばん毒々しい灼熱の赤道直下を照らしてね(笑)。プロとしてそうやって使い分けているんです。
あの頃「SNS」があったら、僕は消えていた
──ただ、いまはSNSで番組や広告などが批判の対象になって“炎上”したり、さまざまなことが白日のもとに晒されたりするような時代です。そのぶん、ファンクラブが“秘密結社”的になって、内輪で盛り上がれるのは、貴重なことなのかもしれませんね。
僕らの頃はSNSはおろか、電話さえなかった時代ですからね。小学2年生のときに黒電話が家に来たんですよ。それまでは電報だったんだから(笑)。だから僕、全然気にならないんですよ、誰がなんと言おうと。自分のなかに「この人イヤだな」とか「この番組つまんないな」とか、それは各々の心の叫びであって、僕にだってそういうのはありますからね。
だってさ、僕が『カックラキン大放送』(1975年4月〜1986年3月日本テレビで放送)で演じてた「カマキリ男」なんて、いま観たってイヤですよ(笑)。緑の全身タイツでサングラスした殺し屋の役ですから。当時、イヤがってた人はたくさんいたみたいなんです。
(女優の)いとうまい子さんがゲストに来られて、楽屋で「はじめまして」なんて世間話してたら、急にこうおっしゃったんですよ。「ラビットさん(関根さんの当時の芸名はラビット関根)って、普通の会話できるんですね。私、昨日怖くて寝られなかったんです。何されるかわからなくて……」って、当時、16歳の女の子から言われて。いまで言うと江頭2:50みたいな感じだったんです。