「最近は友達という感覚の方が近くて、いままで全く友達ができなかった僕にとっては最高の場所で、これからもみんなでミッションを遂行していけると思うと本当に幸せです。(略)そしてそんな場所でこんなにも大好きな人たちに出会えるなんて7年前以前の僕には到底予想できなかった。ありがとう。今後も大変なこといっぱいあるだろうけど、愚直にGEEKに淡々と最高のプロダクトを作り続けられる、そんな世界一偉大なチームになれるよう頑張ろう。良い会社にしていけるようにも頑張るから」

 株式市場に向き合うのと同時に、「愚直にプロダクトを作る」ということにこだわる鶴岡氏。その起業家としてのルーツについて、学生時代にさかのぼって話を聞いた。

Photo by N.H.Photo by N.H.

なりたいものはなかった。けれど、ネットが好きだった

 鶴岡氏は1989年12月生まれの29歳。高校までを故郷の大分県大分市で過ごした彼は2010年、東京工科大学への進学を契機に上京した。

「高校は工業高校の情報学科のようなところ(大分県立情報科学高等学校)で、プログラミングも多少は学んでいました。クラスの9割は地元で就職するような学校だったんですが、僕は卒業してすぐに働きたいと思えなくて……。それで『東京に行こう』と決意しました。その頃からインターネットが好きだったので、ネットのことを学べる学校ならいいかな、くらいの気持ちで学校を選びました。当時は特段『これに絶対なりたい、起業したい』という思いはなかったんです」(鶴岡氏)

 高校進学以前からプログラミングやインターネットに興味を持っていた。そのきっかけを作ったのは、6歳上の兄だ。兄の鶴岡英明氏も同じく大学進学で上京。東京や福岡でエンジニアとして活動したのち、大分市内にITスタートアップの「イジゲン」を設立した起業家だ。

「兄の影響は大きかったと思います。物心ついた頃には、家に兄のパソコンがありましたし、幼い頃から先進的なことにも触れてきました。僕が大学生の頃には、兄は東京で働いていたので、よく遊びにも行っていました。今も仲良くしています」(鶴岡氏)

CAMPFIREのインターンを通じてスタートアップを知る

 兄との交流はあるとは言え、鶴岡氏の学生生活は地味なものだった。大学ではあまり友達も作らず、淡々と授業を受ける日々が続いた。だがプログラミングを学んでいたこともあって、インターネットへの興味はさらに深まっていったという。そしていつものようにSNSをのぞいて見つけたのが、クラウドファンディングサービスを運営するスタートアップ・CAMPFIRE(当時の社名はハイパーインターネッツ)だった。