「もともとクラウドファンディングサービスのKickstarterが好きだったので、そのビジネスモデルに日本で挑戦するというCAMPFIREに興味を持っていました。あるときインターンを募集しているとを知って、応募してみたんです」(鶴岡氏)
CAMPFIREからはすぐに返信が届き、共同創業者の石田公平氏との面接が設定された。そして無事に面接を通過した鶴岡氏は、まだ4人しかいなかったチームに参画することになった。当時のリードエンジニアにプログラミングを学びながら自らコードを書き、サービスの開発に励んだ。大学にはいつしか通わなくなり、自宅とオフィスを往復する毎日になっていた。
当時CAMPFIREのオフィスは、東京・六本木の星条旗通り沿いにあったビルの一室にあった。のちに東証マザーズ市場に上場するフリークアウトのオフィスの一部を間借りしていた。そのオフィスにはみんなのマーケット、カンム、mieple(現:FOND。米国で福利厚生サービスを展開)といったスタートアップも入居しており、それぞれがサービスを開発していた。
連続起業家・家入一真氏との出会い
鶴岡氏がインターン先としてCAMPFIREを選んだのには、もう1つ理由があった。CAMPFIREの共同創業者であり、paperboy&co.(現:GMOペパボ)創業者・エンジェル投資家でもある家入一真氏の存在だ。
引きこもりから起業した実体験をインタビューや自著で語り、社会課題への提言などをTwitterで発信していた家入氏。当時は不用意な言動で“炎上”を起こすこともしばしばあったが、「小さな声をネットの力で繋げる」という思想を掲げる家入氏のファンは当時から多かった。鶴岡氏もそんなファンの1人だった。CAMPFIREに行けば家入氏に会える――そう思って飛び込んだ。実はインターンの募集も、家入氏のTwitter経由で知ったのだった。
「でも当時は全然会社に来なかったんですよね(笑)オフィスで出会ったのは、インターンを始めて1カ月くらいたってからのことでした」(鶴岡氏)
当時の家入氏は、共同創業者としてCAMPFIREに関わる以上に、個人プロジェクトに注力していた。学生やフリーランス、兼業など、さまざまな立場のエンジニアやマーケターを集めて、新しいサービスを作るコミュニティ「Liverty」を立ち上げるにあたり、鶴岡氏も徐々にその活動に関わることになる。最終的にはCAMPFIREを離れてLivertyのエンジニアとして、家入氏の発想をサービスとして実装する役割を担っていった。