林真理子氏が気づかない「日大にやらされていること」と「本当にやるべきこと」の違い林真理子氏が連載をしている『週刊文春』の元編集長が、あえて彼女を公人として批評する Photo:JIJI

元文春編集長があえて批評する
日大理事長としての林真理子氏

 林真理子理事長による日大改革が厳しい批判に晒されています。林さんは『週刊文春』で長い間連載をしているため、「文春は林さんの批判はしないのでは?」という質問も記者会見で出てきました。

 もちろん、連載中の作家の悪口を雑誌で書くことは、編集部の掲載判断が間違っていたことを自ら認めることになりかねないので、慎重に考えなくてはいけないと思います。ただ、書き手が公人として、公の仕事をしている場合は話が別です。元文集編集長の私が、彼女を公人として、第三者的な立場から批評してみたいと思います。

 林さんに対する「お飾りにすぎない」「目立つ地位がほしかっただけ」といった批判は、この時期に日大理事長をやるということの大変さをあまりにも理解していないと私は思っています。

 大学の経営は私も少し経験したので、民間から見るといかに不思議なものか、少しはわかっているつもりです。しかし、現在の林真理子批判は、(1)「作家」林真理子さんにできること、(2)林さんに求められていること、(3)林さんが求められてもできないことについて、彼女の作品の愛読者だけでなく、記者や日大関係者、そして林さん自身も誤った認識を持っているからこそ、起きているものだと思います。

 まず、ボタンの掛け違いがありました。8月8日、澤田康広副学長が「大麻を12日間保管した」と説明した記者会見では、あの場に林さんが出る必要などまったくなかったのです。多くの読者は理事長と学長は同格だと考えています。しかし、理事長は会社でいうなら社長。学長は教育とそれに伴う部活やイベントだけを統括する工場長のようなものです。

 当日の記者会見は、学生数7万人のマンモス大学の一部でしかない生徒が犯した大麻所持問題が議題でした。7万人の企業といえば、林さんの立場は三菱商事の社長クラスです。社員の1人が大麻を所持した程度で、社長が記者会見に出る必要があるでしょうか。昨今、組織のコンプライアンスが厳格化しているとはいえ、第一段階では、監督責任もその後の報告も学長と副学長で十分なのです。

 たぶん、林さんは真面目で、記者会見には出なければいけないと考えたのでしょうが、最終決定権のある理事長があの段階で出席すると、物事の是非を断言したり、重要な決定をしたりする必要に迫られます。案の定、記者の質問に対して「スポーツのほうにはまだ手を付けていなかったことを反省する」といった趣旨の、絶対にしてはならない失言をしてしまいました。