実際、みなさまもお寺にお参りされますと、いろいろな仏さまをご覧になるかと思います。それぞれ願いやお役目を持っていらっしゃいますが、その中でもポピュラーな仏さまのお一人が阿弥陀仏です。

 たくさんのお寺でご安置されており、昔から人々の信仰を集めていた様子がうかがい知れます。今日でいう「推し」だったのかもしれませんね。自費で阿弥陀仏を寺院に奉納するのも珍しいことではありませんでした。困ったときにとりあえず「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える人もいるかもしれません。
 
 それでは、この阿弥陀仏がなぜ、人々の信仰を集めているのか、その理由を大乗仏教の重要な経典の一つ『仏説無量寿経』の物語から紐解いてみます。

 むかしむかし、とある国に一人の王さまがいました。ある日、王さまは世自在王仏という仏さまのお説法を聞き、これに深く感銘し、自分も悩める人々を何とかして救いたいという崇高な志を抱くようになりました。その志のため、王さまはその身分さえも棄て一人の出家者となり「法蔵」と名乗りました。法蔵は世自在王仏に師事すると師のもとでさまざまな「仏の国」を観察しました。そして長い思慮の末、ついに仏として目覚め48の誓願とともに、阿弥陀仏となりました。阿弥陀仏は苦悩に喘ぐ生きとし生けるもの全てを、自らの「仏の国」に導き救うと誓ったのです。この阿弥陀仏の国こそ、有名な「西方極楽浄土」であります。

 これはほんの一部ですが、仏さまの誕生エピソードはなかなか新鮮なのではないでしょうか。

「阿弥陀」はサンスクリット語の「アミターバ」の音写語で「量りしれない光」あるいは「量りしれない寿命」を意味します。これは、どの時代のどの場所に生まれた命であっても漏れなく救うという願いの体現であり、阿弥陀仏の救済は年齢・性別・身分・善悪あらゆるものに捕われず全ての人々がその対象です。

 私たちは仏さまに対してグルグル巻きの髪型(螺髪と言います)に微笑を湛えた仏像の姿をイメージしますが、実はあの姿は「仮」の姿とされています。