ここから見えるように、実は一つに思える私たちの日常はたくさんの世界観が幾重にも重なり合って構成されているのです。そして、私たちは無意識の内にTPOに応じて自分の立つレイヤーを変えながら生活をしています。これは現代社会の良さでもあるのです。
仕事の上では、合理的なものの考え方は重要です。でも、その考え方では落ち込んだ心の支えにならないこともあるでしょう。
論理的なことと不可思議なこと、それぞれがどちらかよりも劣っているということはありません。どちらも真実であり、それで救われた人がいる、そしてこれからも救われる人がいるという事実は確かに存在しているのです。複数の世界観を自由に行き来するのが、私たちにとって一番ナチュラルで力になってくれる付き合い方なのかなと思います。
それでは、最後は「仏の世界観」で、「失敗して落ち込んでしまったとき」についてまとめましょう。

「失敗した……」
そう思いうなだれたとき、自分で自分の物語に幕を下ろしてしまっているのかもしれません。絶え間なく続く流れの中で、私たちが知覚できる時間はごくごく僅かです。
その中の、さらにほんの一瞬を切り出して「失敗」と名付けるのは、我々の眼を覆っている煩悩の所業です。私たちの存在というのは、思っているよりも、ずっと広く、喜ばしいものであるのです。
大丈夫です、つらければ落ち込んだっていい、元気が出ないのならば、静かに休んでいればいい。まずは一日一日を過ごすことができれば、とりあえずそれで百点満点です。落ち込んでいるときは、全てが出口のないトンネルのように感じられるかもしれませんが、そこもまた、仏さまの掌の上、光に照らされている場所なのです。
南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり
(東本願寺出版『真宗聖典』488頁)
ゆっくり休んで顔を上げたとき、あなたはあなたの物語がまだ続いていることに気づくはずです。