2024年のお正月、どのように過ごされましたか。昨年は、ウクライナとパレスチナ・ガザ地区の戦火が止まず、政治家の資金稼ぎにパー券で裏金をつくるカルチャーも露呈して、人の心も荒みがちでした。新しい年の過ごし方を掲示板とともに考えてみましょう。(解説/僧侶 江田智昭)
盟友の死の喪失感を埋めた宮崎駿の新作
昭和には1月15日だった成人の日が第二月曜に変更され、今年の8日はお正月の続きのような三連休ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今回も2つの受賞作品をご紹介します。まずは安心の寺院・僧侶を紹介するサイト「まいてら」による「まいてら賞」を受賞した浄正寺(大分・中津市)の作品から。「悲しみを通さないとみえてこない世界がある」。この作品の講評は以下のとおりです。
この言葉は東井義雄氏の言葉です。深い悲しみを経験することは、他者の苦しみ、痛み、そして悲しみに対する想像力を養います。仏教の「慈悲」における「悲」は、深いあわれみの心や苦しみを取り除くことを意味します。悲惨な戦争をはじめ、この世界は大小の争いが絶えません。争いによって深く傷ついた人々のもとへ飛んで行き、いたわることはできなくても、せめて心を向け、小さくても何らかの行動をする。悲しみから生まれる共感こそが自他をつなぎ、激動する世界に安心をもたらす希望の光になるのかもしれません。
私たちはどのような時も同じように世界が見えているわけではありません。その時々の心の状況に応じて、世界は変わって見えるのです。『法句経』(『ダンマパダ』)の冒頭に以下の言葉が登場します。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
このように心によって目の前のものごと(世界)がつくり出されるため、例えば強い悲しみに心が支配されている時は、その悲しみが自身の見方に大きな影響を与えるのです。
先日、NHKの番組『プロフェッショナル仕事の流儀』で、宮崎駿監督の映画制作のドキュメントが放映されていました。その中で、宮崎監督が新しい作品を制作していく過程と、無二の盟友である高畑勲監督を亡くした悲しみ・喪失感を埋めていく過程とが見事に描かれていました。
大切なものやかけがえのない人を失った時には必ず喪失感が襲ってきます。宮崎監督は心の中の高畑氏の存在の大きさに驚きつつ、深い悲しみと喪失の中で見えてきた世界を『君たちはどう生きるか』という作品にぶつけたのです。
強い悲しみを通して描かれた作品が、国境を越えて多くの人びとの共感を得ることがあるように、悲しみを経験した人同士、強く共感できることが数多くあります。
ウクライナやガザでの戦争により、深い悲しみや喪失を抱えた人びとが日々数多く生まれています。現在、世界の中で広く分断が生じています。いまこそ国境・民族・宗教の壁を越えて、悲しみや喪失感を抱えた者同士が「悲」をめぐって対話し、共感するような場が求められているのかもしれません。