元旦に今年の目標を立て、書き初めで「見える化」して、今年こそとは思うものの、三が日で終わる「三日坊主」になってしまう。その時はどうするか。松の内、五日目にもう一度、仕切り直してみることが大切なのです。(解説/僧侶 江田智昭)
三日坊主は五日目にもう一度
新年明けましておめでとうございます。2024年も「お寺の掲示板」をよろしくお願いいたします。
新年早々、二つの受賞作品をご紹介いたします。まずは「仏教伝道協会本賞」を受賞した鳳林寺(静岡市)の作品「三日坊主なら五日目にもう一回」。この作品の講評は以下の通りです。
「三日坊主」という言葉は僧侶になることを志し、修行するものの三日で脱落してしまう者に由来しています。何事も継続が大切です。三日でやめてしまったら、五日目にもう一度チャレンジしてみましょう。
1年の計は元旦にあり。これは「元日に1年の計画を立てて、その計画をもとにしっかり行う」という意味の言葉です。「昨年はうまくいかなかったけど、今年こそは!」と希望に燃えて、1年の計画を立てている最中の人も大勢いらっしゃるでしょう。
とはいえ、計画をしぶとく実践し続けることが困難なこともまた事実です。これまでに計画を継続的に実行できず、自分の意志の弱さが嫌になったという人も数多くいることでしょう。人生の中で誰しも「三日坊主」の経験があるのではないかと思います。
ところで、本日は元旦、1月1日です。正月といえば、一休さんが頭蓋骨を掲げて京都の街を歩きまわった有名なエピソードがあります。当然、街の人びとから大きな顰蹙(ひんしゅく)を買ったようですが、その際に一休さんは、以下の有名な歌を詠まれました。
門松は冥土(めいど)の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
これは「新年を迎えるということは死に一歩近付いたということであり、それの何が一体おめでたいのか」という意味です。この世界は諸行無常。一休さんのおっしゃるように新年を迎えたということは死が一歩近づいたことになります。
当然のことですが、誰しもがこの1年間を無事に生きて、次の年を迎えられるという保証はありません。これは老いた人も若い人もみな同じです。そのことを心に留めておくと、計画内容が変化し、それを実践する覚悟がより強くなるのではないでしょうか?
ですから、「私自身もこの世界も無常な存在であることをどこかで覚えておく」ことが重要です。お釈迦さまは生涯の最期に以下の言葉を残されました。
比丘(びく)たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。
この言葉は『マハーパリニッバーナ経』の中にあります。命が尽きる直前「諸行無常」に言及されたことが分かります。
私たちの人生は非常に限られた短いものです。立てた計画が頓挫したからといって、クヨクヨしたり、自分を責めている時間はありません。「三日坊主」で終わってしまい、恥ずかしいと思ったら、五日目にまたすぐ再開する。このようなメンタリティをぜひ保持したいものです。