加藤 そうですね。その頃から小さい子どもに関心があることを徐々に意識するようになりました。当時はまだ児童ポルノ禁止法がなく、思春期の女児や男児のヌード写真集が一般の書店に山積みされていました。

 僕もそういった本を買っては、たびたびマスターベーションにふけっていました。高校時代には親戚の小学生男児と一緒に遊びながら、どさくさに紛れて性器を触るなどの加害行為に及びました。

 ただ、性加害の対象が幼い子どもだけかというとそうではなく、同世代の女子高校生に電車内で痴漢したこともあります。

 小児性犯罪の深みにはまってしまうきっかけは、大学時代、近くの書店の成人雑誌コーナーでたまたま手にしたポルノ雑誌でした。そのなかに男児を性虐待するポルノ漫画があったのですが、それを見たとき「これこそが自分の求めていたものだ!」と衝撃を受けたんです。自分の「アイデンティティ」を発見した感じでした。

――まさに「パンドラの箱」が開いた瞬間ですね。

加藤 その後もどんどん男児の児童ポルノを渇望するようになり、男性同性愛者向けの雑誌にたどり着きました。巻頭にはいわゆるマッチョで筋骨隆々の男性のグラビアが出てくるのですが、そういったページにはまったく惹かれず、巻末にある「少年愛」と呼ばれるジャンルの児童ポルノの広告を見て、そこから次々と児童ポルノを入手し、強迫的なマスターベーションにふけるようになったんです。

 30代の頃には、ボランティアの仕事で障害のある男子高校生の性器を触ったり、通りがかった小学生男児に痴漢行為をはたらきました。

――加害行為を繰り返していったんですね。

加藤 はい。ただ僕の嗜癖行為はそれだけではありませんでした。僕が自首するきっかけとなった事件の1年前にアルコール依存症と診断されているんです。

――アルコールが子どもへの性加害のトリガーになっていた側面もあったのですか?

加藤 その頃は男児の児童ポルノのビデオを観ながら、当時は違法ではなかったRUSHという性的快感を刺激する薬物を嗅ぎ、ビールを飲む……というパターンが多かったので、アルコールがトリガーというよりも、児童ポルノと薬物、アルコールが「三位一体」になっていたというのが正しいかもしれません。