健常者にとって非日常である暗闇では
「社会的弱者」との境界がなくなる

志村 ええ、実際にそういう人たちもいますよ(笑)。

志村氏志村季世恵(しむら・きよえ)
バースセラピスト。一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。ダイアログ・イン・ザ・ダーク総合プロデューサー。人の誕生や、終末期のターミナルケアなどにたずさわり、約30年で4万人以上をカウンセリング。「人はいつでも誰かの幸せを願ったり、何かを生み出したりすることができる」という思いから「バースセラピスト」を名乗るようになる。著書に『エールは消えない』(婦人之友社)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)、『親と子が育てられるとき』(内田也哉子さんとの共著/岩波アクティブ新書)など。

 それに、こういうこともありました。初めて参加した人が、ツアー終了後にぼろぼろ泣いているんです。「私は人間が好きだったんだ」と。

 その人は、毎日、満員電車に乗っているうちに、他人が煩わしい存在に思えてきた。人とぶつかるたびに他人を疎ましく思っていた。自分は人が嫌いで、そんな自分も嫌いになり始めていた。

 でも、自分の中に「人が好きだ」という気持ちがあることがわかり、涙があふれてきたというんです。そのように、自己肯定感が上がるきっかけになることもあるのです。

田中 志村さんは、以前、ダイアログ・イン・ザ・ダークについて、「普段、住む世界ではないところに入っていくための装置」だとおっしゃっていましたね。

志村 はい。健常者の多くは、暗闇は非日常ですよね。そこに1人で放り込まれると恐怖を感じるでしょう。一方で、視覚障害者にとっては、暗闇は日常です。そこに彼らは恐怖も不自由さもほとんど感じない。その世界では、彼らがいてくれるからこそ、健常者も楽しむことができるのです。

 ダイアログ・イン・ザ・ダークという装置は、暗闇の空間さえあれば成立するというわけではありません。視覚障害者がアテンドすることにこそ、意味があるのです。

田中 アテンダントは何名いらっしゃるのですか?

志村 私たちの団体には、約40人の視覚障害者が在籍しています。

田中 これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験していると聞きました。日本では初開催が1999年で、以降、24万人以上が体験しています。志村さんは、世界の中で唯一、日本独自のコンテンツを開発することを許可されているのですよね。

志村 このダイアログ・イン・ザ・ダークは、1988年にドイツの哲学博士である、アンドレアス・ハイネッケ氏の発案で始まりました。ハイネッケ氏は「自分には3つの願いがある」と言っています。

「対等の出会い」によって、自分と異なる人々との関係性を変えること。「自分と異なる人々」と対話して、社会を良くすること。そして、職に就きにくい人や、働きたいのに働けない人に、雇用を創出すること。この3つです。

 私は、セラピストをしているため、こうした経験を認めてくれたのか、または、視覚障害者の人と一緒にハイネッケ氏の思想を実現しようとしたことが、彼の信頼を得ることができたのかもしれません。

 ドイツ人の父とユダヤ人の母のもとに生まれたハイネッケ氏は、ナチスの血を引いており、同時に、母方の親類はユダヤ人収容所で亡くなっています。そのことを子どもの頃に知って、衝撃を受けたといいます。なぜ、民族や文化が異なると、暴力や差別が生まれるのか? そのことを探求するために、哲学を修め、哲学者のマルティン・ブーバー氏に出会います。そして、異なる文化が融合するためには「対話」が必要である。対話が成立するためには、両者が対等な空間にいて、対等な関係性がなければならない。このことを深く実感したのです。

田中 今おっしゃった、「対話が成立するためには、両者が対等な空間にいて、対等な関係性がなければならない」ということは、例えば企業においては、上下関係が前提にあると、忖度(そんたく)してしまって本音が言えず、対話が成立しない、ということですよね。

志村 そうですね。そのため、ハイネッケ氏は、人と人とが対等にコミュニケーションを取るためにはどうすればいいかを考えます。そして、視覚障害者とともに働いた経験をもとに、暗闇という空間であれば、視覚障害者も健常者も、対等な関係になれると考え、ダイアログ・イン・ザ・ダークを創始するのです。

田中 なるほど、ダイアログ・イン・ザ・ダークというのは、「人と人とが対等になるための装置」でもあるのですね。

志村 普段の社会においては、視覚障害者というのは弱者として扱われます。その弱者が、暗闇の世界を案内し、対話をファシリテーションする。これがダイアログ・イン・ザ・ダークの核であり、そこからすべてが始まっているのです。

大きな石の間を小さな石が埋めることで強固になる
「ダイバーシティ」の本質

田中氏

田中 これまでのお話は、「視覚」障害者がアテンドするプログラムについてでしたが、「聴覚」障害者がアテンドするプログラムも、不定期で開催していますね。

志村 はい。「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」です。

田中 以前、このプログラムにも参加したことがあるのですが、アテンダントである聴覚障害のかたが、「読唇」(※相手の唇の動きから話している内容を読み取ること)してくれるため、私たちは普段通りに会話をしていました。

 そのとき、真介さん(※ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表の志村真介氏)も参加していたのですが、アテンダントが真介さんに「もっとはっきりと唇を動かしていただくことはできますか」と伝えたのですね。真介さんは過度に恐縮したりすることなく、「ああ、ごめんごめん」と言っていましたが、私はそれをみて、「ダイバーシティ&インクルージョン」が少し理解できた気がしました。

 さまざまな人が共生する社会をつくりたい。でも、ただ「多様な人たち」が集まればいいというわけではない。いろいろな人が集まっているので、当然、お互いのニーズもわからないし、相手は何が苦手かもわからない。だから、対話に必要な要求を相手にきちんとしてみる。その要求は、決して一方的な要求ではなく、相手を理解したいがために必要な要求であり、要求されたほうも、相手を理解するために、できる限りそれに応えようとする。そのやりとりが至極、自然に行われる――。

「ああ、これがダイバーシティ&インクルージョンなのかもしれないなあ」と思ったのです。

志村氏

志村 以前、田中さんは、「相手の言っていることが理解できないとき、わかっていないのに適当にうんうんと相づちを打つのは何だか申し訳ない。わからないときはわからないと言ったほうが、結果的にお互いにハッピーになるんだ」とおっしゃっていましたね。

 わかり合うために主張をする。お互いの強みや弱みを理解する。このことは、とても大事なことですよね。それは健常者と障害者の間だけでなく、家族間でも、組織間でも、同じように重要です。

 ダイアログ・イン・ザ・サイレンスを始めるとき、聴覚障害者が「(私は日本人だけれど)私のことを外国人だと思ってね」と私に手話で言うのです。私は最初はどういうことかわかりませんでした。

 聴覚障害者は手話を使います。手話の文法というのは、健常者が日常で使う日本語の文法とは、だいぶ異なります。つまり、言語が異なるので、外国人と接していると思ってコミュニケーションを取ってみてほしい。しばらくして、そういう意味だったのかとわかりました。

田中 言語が違うと、文化も思考プロセスも違いますものね。

志村 田中さんには釈迦に説法かもしれませんが、「ダイバーシティ(多様性/Diversity)」という言葉には、「それぞれに異なる方向を向いている」という意味があります(※)。ダイバーシティというのは、それぞれの強みを活かしていく、ということなのです。
※「di」は「別の」「離れた」、「verse」は「向く」「向きを変える」といったニュアンスがある

 例えば、城壁に使う石は、大きければいいというわけではありません。大きな石の間に、隙間を埋める小さな石が必要です。その石があることで城壁全体が強固になっている。小さくても、なくてはならない重要な存在です。組織も同じで、同質の人を集めても強いチームにはなりません。一見、頑丈に見えても、必ずどこかで崩れます。

 病気や家庭の事情で1日3時間、週3日しか働けない人がいるとします。だからといって、その人の持ち味が発揮できる場を奪われるのはもったいないですよね。お互いの事情を知って、うまく組み合わせてチームをつくれば、皆の持ち味を活かすことができるかもしれません。

おふたり

「ダイバーシティ」というのは、多様な人たちを集めることが目的なのではなく、多様な人たちそれぞれの持ち味を活かすことこそが、本質なのです。

田中 同質性の高い集団の中というのは居心地がよくて、つい、自分たちとは違うタイプの人たちがいることに目を背けがちです。でも、自分と違う意見や、違う事情を抱える人と、出会い、対話していく。そこには当然、違和感があったり、拒絶したくなったりするかもしません。でもそれをしなければ、いつまでたってもダイバーシティを理解することはできないし、自分自身も成長しませんね。

志村 もし同じ場に、苦手な人や嫌いな人がいたとしても、必ずどこかに共通点があるものです。なぜなら、「同じ場にいる」ということは、大きな目的は共通しているのですから。そこへ向かうプロセスや哲学が、自分と合わないだけなのです。

 そこを、対話を通じて理解すればいいのです。「こういう道順で向かいたかったんだ」「こっちの道のほうが早道だよ」「そちらは試したことがあるけれど足場が悪いよ」と。

田中 ゴールは同じでも考えている道順が違う。そこで対立が起こる。違いや差を無理に埋める必要はなく、違いや差があることを、対話を通じて理解することが大事なのですね。