誰もがなるべく協力的に修復しようとする
会話中に何らかの修復を促す人には、言語を問わず、一定の傾向が見られるということになる。誰もが可能な限り、具体性の高い「強い」言葉で修復を促そうとする、という傾向だ。この傾向から、人間の会話中の態度に関して興味深いことがわかる。それは、人間は皆、会話の相手にできるだけ協力しようとする、利他的な態度を取るということだ。
具体性の高い「強い」言葉を使うことには二つの利点がある。一つは、その方が一度で問題が解決する可能性が高くなるということだ。問題が解決すれば、また元通りの会話を再開できる。これは会話の参加者双方にとって良いことだ。だからこそこのような利他的な行動に出ると考えられる。
もう一つの利点も、修復を促す人自身というよりも、修復をする人にとっての利点だろう。
A:ディパートも来たよ。
シナリオ1 B:何だって? A:ディパートも来たよ。
シナリオ2 B:誰が来たって? A:ディパートだよ。
シナリオ3 B:ディパートも来たって? A:うん。
三つのシナリオについて、それぞれ問題解決にかかる労力がAの人とBの人にどう分散されているかを比較してみよう。あとのシナリオほど、修復を促す言葉は具体性が高い「強い」ものになっている。それぞれ、どちらの方に多く労力がかかっているだろうか。
修復を促す言葉が「強く」なるほど、労力はBの人に多くかかることがわかる。その分、Aの人の労力は減る。Bの人が強い言葉を選ぶほど、問題解決のための労力を多く自分で負担することになり、Aの人の労力を減らすことになる。Aの人が最初の言葉を繰り返しても──”Dippert’s there too.(ディパートも来たよ)”と言ったとしても──大変な負担というわけではないが、単に”Yes.(うん)”というだけよりは労力は多くなるだろう。