シャドーバンを受けるようなユーザーの投稿には、問題があるかもしれません。しかし、一般ユーザーだって実は、作られたソーシャルの世界の中にいるとも考えられます。最近、Xに投稿すると、私の面白くもないポストに数千〜数万のインプレッション(表示数)がつくことがあるのですが、本当にそんなに見られているかどうか、私たちにはわかりません。うがった見方をすれば、私に有料課金をして欲しいから表示数を増やしていることも考えられるわけです。
カレンが「注目を求めてはいけない」と言っていましたが、私たちはソーシャルメディアのそうした数字に踊らされず、むしろ、それがアルゴリズムや事業者の都合で操作されたものかも知れないと認識しておかなければいけないでしょう。そのアルゴリズムは必ずしも、「みんなが望むような世界」を作るように設定されているとは限らないのです。
ユーザーそれぞれがアルゴリズムに
支配されないことが大切
ソーシャルメディアがリアルの世界を完全に反映している必要があるとは、私も思いません。ただ、それをより良くするには、アルゴリズムだけに頼るのではなく、人の判断も必要です。私は、単純に「アルゴリズムが脅威だ」といっているわけではありません。アルゴリズムはディストピアを作り出してしまう可能性もありますが、確実に人間の力になる存在です。ですから、人がアルゴリズムをコントロールしながら、その力を利用するのが望ましいと思うのです。
これは、アルゴリズムを開発する技術者だけに関係のある話ではありません。利用者自身が、アルゴリズムに依存しないこと、アルゴリズムに支配されないことが大切です。
社会は自分たちが作っていくものです。デジタルやアルゴリズムに支配された社会は、あまりよいものではありません。また、アテンションさえ得られれば経済的欲求も承認欲求も満たせるという、アテンションエコノミーの功罪の「罪」の方が強い社会もいびつに感じます。
YouTuberの私人逮捕は極端な例ですが、以前からXでは、自分には利害がないのに少しでも間違ったことを述べた人を火だるまにする傾向がありました。「悪は1ミリも許せない」と挙げた正義の拳を下ろせないような人たちがたくさんいるのです。これでは、まるで第二次世界大戦末期の日本のような衆人環視社会です。そんな社会になることが果たしてよいのかどうか、ぜひ皆さんにも考えてほしいと思います。
(クライス&カンパニー顧問/Tably代表 及川卓也、構成/ムコハタワカコ)