その一例が「しずかなインターネット」という、2023年11月に始まったサービスです。「日記やエッセイ、個人的メモを書くのにちょうどよい『文章書き散らしサービス』」として開発されたこのサイトは、「ここでは、頑張って有益なことを書くことは求められていません」として、ユーザー同士のつながりも積極的には持たせない、かなり“アンチソーシャル”な存在です。こうしたサービスが望まれるような時代になってきているのではないかと私は感じています。
ソーシャルメディアは
しょせん“虚構”の世界
ソーシャルメディアは虚構の世界、というと言い過ぎかもしれませんが、やはりリアルとは違うものであると我々はもっと理解する必要があると思います。しょせんはデジタルで作られ、誰かのビジネスにプラスになるように恣意(しい)的な係数が設定された、あなたに見せたいものを見せている世界なのです。
その世界はアルゴリズムによってコントロールされており、そのアルゴリズムはコロコロと変わります。大事なことは、あなたの見ている世界と私の見ている世界は違うということです。Facebookのタイムラインだって、私に表示されているものと、ほかの誰かに表示されているものは全然違います。友達が違うという理由だけでなく、性別や世代によっても広告などの表示は変わります。
しかもその表示は必ずしも好ましいものとは限りません。私など、見たくもない広告が表示されるのが嫌で、広告をブロックするウェブブラウザを使い始めたほどです。
また、いつの間にかあなたのアカウントが「シャドーバン」になっていることだってあり得ます。シャドーバン(隠れた禁止)とは、ソーシャルメディアの運営者が問題のあるユーザーのアカウントの投稿をほかのユーザーの目に触れさせないようにする措置のことです。アカウント凍結とは異なり、シャドーバンの場合は投稿することは可能なため、ユーザー自身は措置を受けていることに気づけません。
あるユーザーによる投稿の表示・非表示や表示の頻度は、事業者サイドが一方的に決めることができます。理論上はロボットが「いいね」や返信をつけることで、シャドーバンを受けている本人が気づかずにそのサービスを使い続けるということだって、あり得ます。まるで、書割(かきわり)の世界に住み続ける、映画『トゥルーマン・ショー』の主人公のようです。