遺族からも
死体の受け取りを拒否され…

 私のような仕事をしていると、遺族が死体の受け取りを拒否する場面に直面することはそれほど珍しいことではない。

 とっくの昔に縁が切れて顔すら覚えていない遠戚が突然通告されても、「はい、そうですか、私が葬儀を挙げ、家をきれいにする費用を負担します」と即座に応じる例はなかなかない。ひょっとして借金を抱えることにはならないかと、光の速さで相続放棄受理証明書を書くのがオチのようだ。

 貧しい者にも満ちあふれているものがあるとしたら、それは郵便物だろう。滞納告知書に督促状、ガス、水道、電気を止めると脅しをかける未納料金の警告状、警告通りに供給を中断したと知らせる最終通告が、郵便箱にぎっしりと挿し込まれている。

 玄関のドアの前には赤い札の上に黄色い札、またほかの郵便物が届いたから期日内に持っていけという、白い札が貼り付けられている。債権者の顔も、市中銀行マンの冷たいながらもまだ穏やかさを残す顔から、カード会社や資産会社スタッフの、血の気の失せた引きつり顔に変わり、いつの間にか個人金融業者の凄みのきいた強面に変わっていく。

 取り立てられなかった債権を安値で買い集めたまた別の債権者は、こまめに督促状を送り、電話をかけ、遠距離もいとわず足繁く家を訪ねてはベルを押す。合法不合法の両岸を巧妙にまたぎながら債務者を追い詰める者たち……。

 見方を変えれば、家族が連絡を断ち切っても、債権者だけは絶えず安否を確かめていることになる。借金のある者の健康を気遣ってくれる人間は肉親よりも債権者なのかもしれない。

 数十億ウォン台の借金を一日一日懸命に働いて返していくと勇気ある宣言をした歌手出身のアナウンサーに対し、債権者たちが健康サプリを贈り応援しているという話を聞いて、とても複雑な気持ちになった。笑っていいのか、泣いたらいいのか。どちらかわからないときはいっそ笑うべきなのだろうか。返済を受ける者は誰よりも債務者の健康と長寿を願っているのだ。借金を完済させるその日までは。

 ある若者が首を吊って自殺したという、清譚洞のあるマンションに到着した。一見すると、富裕層の住む丘陵地の一角に新しく建てられた典型的な高級マンションに見えた。

 しかし、建物の玄関前に仕事道具を下ろして駐車場のほうに行くと、あちこちにひびの入った赤レンガや、ところどころ左官補修した跡のある古い壁が現れる。

 リフォーム工事を経て、前面は補修し内装まで新しくしたが、なぜか建物の裏面までは手が回らなかったようだ。さながら青年の仮面を被ったタキシード姿の老人が、曲がった腰を無理に伸ばしたまま、力を振り絞って闊歩して見せるハロウィンの舞台裏のようで、なんとも物悲しい。