映像化に前向きな作家ばかりではない
世界観が違う作品になることもしばしば
コミックや小説のファンの方には「映像化されて作品の良さがなくなった」と感じる人が多く出てくることも事実です。しかしその一方、映像化によって紙でも電子でも原作の部数が劇的に増える傾向にあるのも事実です。
私が知る小説の世界では、古くは松本清張先生、ここ最近では東野圭吾先生、宮部みゆき先生、湊かなえ先生などは、基本的に自分の作品と映像化作品はまったく別物として捉えているように感じていました。
実際、清張作品は今も新作が出ていますが、先生が生きていたのは携帯電話などなかった時代ですから、小説の核をなすトリック自体が改変されています。また、東野圭吾さんの代表作である『ガリレオシリーズ』の原作には、コンビとなる女性刑事は出てきません。トリックや主役まで変わっても平気な作家もおられるわけで、これらの作品は、映像化によってさらに多くの本が売れ、出版社も作家も潤っています。
一方、基本的に映像化を嫌う作家も大勢います。松本清張先生と並ぶ戦後の国民的作家・司馬遼太郎先生は、映像化にはそれほど熱心ではありませんでした。特に夫人が脚色を好まない人でしたから、代表作『坂の上の雲』は「戦争賛美と受けとられかねない」と、強く反対されていたことを覚えています(NHKも大河ドラマではなく、3年連続のスペシャルドラマ枠として放映)。
映像化に対しては、原作を持つ出版社は出資もできるので、映画やDVDの売り上げの一部を収入にできる可能性もあります。この立場は、小説もコミックも同じだと思います。いや、コミックを映像化する場合は、さらにキャラクター商品が発生し、ゲーム化もありうるので、出版社も著者も懐が潤う可能性はさらに増えます。
しかし、多角的にその作品がビジネス化されることによって、作家の考えていた世界観ではないものが作家の作品からつくられてしまうという危険も、昔に比べて大きく増加してきました。
そのために出版社は、作家と出版契約を結び、翻訳、映像 電子化といった派生ビジネスについては代行する契約を結ぶことが多いのです。また作家によっては、紙の本以外の契約は出版社とは結ばず、独自で交渉する、あるいはエージェントとして契約した事務所で代行するという場合もあります。