「過信や慢心」と「自虐」
2つの極端な思考に振れる日本人
日本の国家的独立に関する悲観論の一方で、この国には慢心や過信が極めて広がりやすい傾向もあると感じます。先にあげた例をもとに考えてみましょう。
(2)イギリスの植民地となり奴隷同然となったインド人
「数千年の歴史を持ち、古代から数学など優れた学問を発達させてきたインドという国も、当時西洋列強のイギリスの植民地となり、インド人はイギリス政府の奴隷のような立場に堕ちた。理由はインド人の視野が、国内だけに固定されており、広く世界と比較せず、ごく一部だけ見て自国の状態を過信し慢心していたからだ」
上記は第12編に書かれている内容の抜粋ですが、わかりやすくポイントをリスト化してみましょう。
・国民の視野が狭く、その国内だけに限定されていた
・自国の状態に満足しきっていた
・自国と他国のごく一部だけを比較し、その一部の優越で慢心してしまった
・慢心・過信の結果として議論を止め、広く仲間を作ることもやめた
・勝敗栄辱など他国の全体との比較を目的とせず、天下泰平と思い、国内で兄弟げんかをしているうちに外国に商売で圧倒されて国を失った
視野が狭いこと、国内のごく一部が海外の他国よりも優れていることで簡単に慢心過信をしてしまうこと。これは現在の日本にもずばり当てはまることでしょう。国家としての日本だけではなく、企業組織、個人としての現在の日本人にも言えるかもしれません。根拠の薄い優越感を持ち、他国との比較で慢心するのが早すぎるのです。
インドの国民は視野を世界に広げることなく、自国の一部の優秀さだけ見て慢心し、他国の全体像と比較することなく、やがてイギリスの植民地となり果ててしまいます。広く現実を見ないこと、根拠の薄い楽観論を盲信することが祖国を滅ぼし、自らが植民地の奴隷となってしまうことにつながったのです。
振り返ると、現代の日本にもあまりに自虐的な「悲観論」と根拠をしっかり確認しない「楽観論や過信」がはびこっていないでしょうか。幕末明治の日本人と、今の私たちの共通点を考えるとき、2つの両極端に振れやすい傾向があると感じます。