第3の道を指し示す書
『学問のすすめ』と福沢諭吉

「悲観論」と「過信慢心」が共に不適切であれば、私たちには一体どんな道を歩んでいくべきなのでしょうか?『学問のすすめ』が勧めるのは、視野を広げて思考するリアリズムの上に立つ努力です。

 第3の道、つまり「悲観論」でも「慢心」でもない新たな道を明治初期の人々に指示したのが福沢諭吉であり、全国に広めたのが代表作『学問のすすめ』なのです。

「わが日本国においても、現在の有様は西洋諸国の富強に及ばないところがあるが、一国の権利において違いはない。(中略)貧富強弱の状態は、固定されたものではなく、人が勉学に励むことあるいは学ばないことの差で変わるものだから、今日の愚者も明日には智者となるように、以前の強国も今日の弱者となることがあり、古今その例は多い」(第3編から抜粋)

【諭吉が『学問のすすめ』で提唱した視野を広げて思考するリアリズム】
(1)現実を視るべし、学ぶ者とそうでない者の人生に差がつくのは当然だ
(2)政府も国も、国民の賢さに比例する。だから日本人は賢くなるべき
(3)グローバル化で多くの物事が海外との比較で対処しなければならない
(4)社会が変化する時には特有の新しいチャンスが生まれる
(5)井の中の蛙になるな、世界は広い

 グローバル化と共に、広く他国と比較されて判断がなされる時代になると、これまで当たり前だと考えていた仕組みや組織が脆弱な存在だと気づかされることになります。江戸幕府の末期には西洋列強との技術や文化格差があまりに大きい状態でありながら、幕府内の改革は内部でつぶされてしまい、西洋列強のアジア進出という変化が生み出した社会問題に時代遅れの政権は対処することができませんでした。

 社会が不安定になり、既存の権威や習慣が通用しなくなると、現実を子細に観察する前に「悲観論」に染められてしまう者、逆に現実逃避的な精神から相手の実力を過小評価して、むやみに慢心・過信の状態に陥るものが出てきます(アヘン戦争で敗れた清国は、相手の実力を観ず、戦争を行って敗れました)。

 諭吉は『学問のすすめ』で、当時植民地化されてしまったインドやトルコ、清などいくつかの国をあげながら、極論に傾きがちな日本人を諌めていたのでしょう。日本は結果として、19世紀に西洋列強の植民地化を退けた数少ない国家となりました。