まるで昨今のポリコレ(政治的公正性)を嘆くネット上の匿名アカウントのような意見が散見され、これならばわざわざ有名人を招かなくとも、一般人にアンケートを取れば良いのではないかと言いたくなる。
多様な意見があるのだから、バランスを取るためにこういった意見も必要なのかもしれないが、人権をテーマにした議論設定をしながら、人権の問題に取り組む識者や専門家の意見を聞いた様子がないのはどういうことなのだろうか。
「人権はもちろん大切だが」「人権意識が強くなりすぎると」といった意見はそもそも人権問題を考えることに拒否を示す人にありがちな反応である。人権を学ぶことは、誰にとっても多少の苦痛を感じる経験である。それまでの価値観が揺さぶられ、自分の偏見に気付かされることがあるからである。ある意味、自然な反応とも言える。
だからこそ、こういった拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、人権について意識が高まることは「息苦しさ」を意味しないと納得してもらう必要がある。しかし日本ではまだ、拒否反応が「一つの意見」と見なされる傾向があり、それがこの度の議事録でもはっきりとした。
松本人志氏の番組を絶賛
ネットなどへのライバル心が「チラ見え」
ちなみに、重箱の隅をつっつくようで申し訳ないが、このような要約すると「最近はすぐクレームが来るから大変だ」的な委員からの意見はこれ以前にもあり、例えば「品性に欠ける番組だとお叱りを受けることもあるだろうが、子どもや若者に美しい物だけを見せても良くない」(2023年1月「フジテレビの未来への提言」)、「批判を恐れてドラマやバラエティーが面白くなくならないようにしてほしい」(同)などがあった。
松本人志氏の降板が話題となっている『まつもtoなかい』(現「だれかtoなかい」)は、審議委員の中で「最近見たトーク番組の中で断トツに面白い」「何よりも良かったのは、攻めている匂いがしたこと。最近テレビがどうしても萎縮しがちな中で、『人々が見たいものを見せるんだ』という自由な制作側の意志が伝わってきた。フジテレビの元気の種につながるのではと感じた」と絶賛されていた(2023年5月の議事録より)。