2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの魔法Photo: Adobe Stock

人生は「楽しむため」に存在する

「人生は修行の場である」
「修行することが目的である以上、人生には苦しみや悲しみが多くて当然だ」
「人生は、つらく悲しいものの集積である」

 と考える人がいます。

「目の前の出来事はすべて『修行』のために存在している。悩みがあるのは当たり前だ。だからこそ、立ち向かったり、我慢や忍耐をしたり、乗り越えたりしなければいけない」

 そう考えることで、もしあなた自身の生き方がラクになるのであれば、「人生=修行」ととらえても、別にかまわないでしょう。

 ただ、「宇宙の構造」は違うらしいのです。人生は「修行の場」として設定されているわけではないようです。

 人生は、「修行の場」でないとしたら、何でしょうか?

 人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をするための場」であり、なによりも、「楽しむため」に存在しているようなのです。

「人生は苦しみに満ちていると、悲嘆にくれてばかりの人」や、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句ばかりの人」に比べれば、人生を「修行の場」と位置づけ、「乗り越えていくしかない」「我慢するしかない」と考えている人のほうが、まだ一歩も二歩も前進していると思います。

 でも、それではまだ、「途中の段階」。

 私たちが「肉体を持ってこの世に生まれてきた理由」は、「人生を楽しむため」にほかならないと思います。

 現象はすべて「ゼロ(中立)」のようです。どのようにとらえるかは、結局のところ、あなた次第だと思います。

「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝した(日本人初)ピアニストの辻井伸行さんは、「全盲」という視覚障害を持っています。

 けれど辻井さんは、「今までつらいと思ったことはなく、楽しくピアノを弾いてきた」(読売新聞2009年6月11日より引用)と受賞後の記者会見で話しています。

 目の前の出来事を「修行のために存在する」ととらえ、「だから耐えなければいけない」と意気込むのもかまいません。

 けれどもし、「人生は楽しむためにある」と認識することでラクになるのであれば、そのようにとらえてもよいと思います。