毎日口にする食事もだれかの手あるいは機械で調理されたものだ。その食事の食材だってだれかの手による農作物だし、調理する機械もどこかの企業によって組み上げられたものだ。

 それは同時に、あなたが従事する仕事も家事も、巡り巡って「なにかを作る」地平に接続されていることに気づくだろう。

 世界は作り手に満ちている。あなたもわたしもいつだって作り手になれる。手っ取り早く言えば、働くこと自体が作り手にまわることなのかもしれない。社会に参加するともれなく世界の解像度が上がるのなら、私は大人になるのも悪くないと思えるのだけど、どうだろうか。

「言語化」の秘訣は
「言う」を伐採すること

 言語化してくださいとか言語化がうまいですね、と言われる機会がある。たいていは「なんかうまいこと言ってください」とか「なんかうまいこと言ってますよね」と同義なので、だいたいはあいまいな表情で聞き流すことにしている。

 最近は書店でもネットでも「言語化がいかに大事か」というような意のタイトルを見かけるから、ビジネスや人生をうまくやるには、どうやら言語化が秘訣だとされているのだろう。

 それを言語化と言っていいのかはわからないが、私の仕事は「限られた場所でなんか言って伝える」ことである。ツイッターなんて、その限られた場所の最たるものだろう。

 コトが製品の宣伝ともなると、あれもできるこれもできると機能を積み上げたスマホや、ここがちょっと便利でそこは少し使いやすくなりましたと改善を寄せ集めた冷蔵庫なんか、その全貌を限られた場所で説明するのは土台無理な話である。

 だから私はまず、言わない機能をバッサバッサと捨てていく。捨ておく機能にどれほど開発の労力が注がれたか、どれほど社内の支持があるか、具体的な社員の顔が思い浮かぼうが未練はない。

 私の仕事は、伝わってほしい人に伝えることがすべてにおいての優先事項である。言わない選択をすることに、私は躊躇がない。

 そうでなくとも広告なんて、伝わらないのだ。だれでも身に覚えがあると思うが、広告を見たってそれがどこのなんの広告か、一瞬たりとも覚えてなんかいられない。ただでさえ伝わらないなら、せめて「伝えるポイントはひとつに」とは、だれが考えてもわかる話だと思う。