古墳王国・埼玉には3114もの埋蔵文化財
吉見百穴を超える横穴墓群も

 コロポックルの住居であるとする説には一定のロマンを感じるものの、令和の視点からすれば、学術的に無理があるのは自明。それでも吉見百穴が古代の貴重な物証であることに変わりはなく、大正12(1923)年には国指定史跡に認定されている。

 埼玉県は知る人ぞ知る古墳王国で、文化庁の調べによれば、今日までに3114もの埋蔵文化財が確認されている。現代人が暮らしやすい地形は古代人にとっても同様で、今も昔も多くの人々がこの近隣で生活していたわけだ。

 だからおそらく、こうした横穴墓群は吉見百穴だけではないはずだ。現に、同じ吉見町内では他に、「黒岩横穴墓群」が見つかっている。まだ吉見百穴の正体が定かではなかった明治10(1877)年に、地域の有志によって発掘された横穴墓群だ。

 通年、観光客でにぎわう吉見百穴とは対照的に、八丁湖という人工沼のほとりにひっそりと眠る黒岩横穴墓群は、発掘当時は16基の穴が確認されていたが、その後の調査により、これまで30基以上の横穴墓の存在が明らかになっている。

 明治時代にはオーストリア公使のヘンリー・シーボルトや、大森貝塚の発見者として名高いエドワード・モースが視察にこの地を訪れるなど、歴史的価値は早くから認められ、こちらも大正14(1925)年には埼玉県の史跡に指定された。

 ただ、案内板こそ一応用意されているものの、吉見百穴のように整備されておらず、訪れる人もほぼいない。そのため入り口は生い茂る雑草に覆われてしまっている。

 そのせいなのか、周辺にはどうにも近寄り難い雰囲気があり、やぶの深さと相まって筆者もこちらは穴の内部までは確認できていない。

コロポックルの住居か?日本のカッパドキアか?219の穴がひしめく、埼玉「吉見百穴」の真相【内部写真あり】地元では「十六穴」と呼ばれている黒岩横穴群の一部  Photo by S.T.

 資料によれば、黒岩横穴墓群はこの一帯の百穴谷、首切り谷、地獄谷、茶臼谷、神代谷の5カ所に分布しているそうで、そのおどろおどろしい地名が何やら意味深い。地名は何らかの由来を持つものだから、吉見百穴が「陽」なら、こちらは「陰」の横穴墓群なのかもしれない。

 現在までに発掘されている30基の穴は、実は黒岩横穴墓群のごく一部に過ぎず、一説によると、未発掘の穴がこの一帯に500基以上も埋没しているという。人が立ち入らないため、吉見百穴よりもはるかに良好な状態のまま保存されているそうで、本格的な調査が進めばさらに貴重な遺物が見つかるかもしれない。いつの日か、その全容が明らかにされる時を心待ちにしたい。

コロポックルの住居か?日本のカッパドキアか?219の穴がひしめく、埼玉「吉見百穴」の真相【内部写真あり】八丁湖の北側には黒岩横穴墓群を示す案内板。しかし素通りするトレッキング客がほとんどだった  Photo by S.T.