東北から遠く離れた地域で日常を送っていると、東日本大震災を忘れずにいることは難しい。この数ヵ月、東京にいて、意識せずに報道に接していると、東北地方の目覚ましい復興ぶりばかりが目に入ってしまいがちだ。では、震災は、本当に過去の出来事になりつつあるのだろうか?

本稿では前後編2回にわたり、東北大学の一研究所の教職員を中心に、東日本大震災とその後の2年間の歩みを紹介する。

「まだ、震災前には戻っていない」
2年後の仙台市中心部に残る、大震災の爪痕

東日本大震災の最初の激震による液状化で、数多くのマンホールが浮き上がった。浮き上がったまま補修されて、現在に至っている

 2013年1月下旬、筆者は仙台市・青葉区に5日間滞在した。1年2ヵ月ぶりの仙台であった。

 東日本大震災から8ヵ月後の2011年11月にも、仙台市内でのボランティアを目的として、筆者は仙台に滞在した。JR仙台駅から見渡す仙台市街は、震災以前と何ら違いがないように見受けられた。しかし当時、仙台駅を少し離れると、歩道の縁石が数百メートルにわたって崩れたままであったり、「立入禁止」と示されている傾いた建造物が取り壊しを待っていたりした。また、震災で屋根瓦が剥がれ落ちたままなのか、屋根にブルーシートがかけられている建造物もそこかしこにあった。

 震災から満2年に近づこうとしている2013年1月、目に見える形で明確にわかる震災の爪痕は、少なくとも筆者が行動した範囲、JR仙台駅と東北大学片平キャンパス(仙台市青葉区)の周辺には見受けられなかった。

「震災以前と同様の仙台の街並みに戻ったのかな?」

仙台市青葉区の歩道にて。点字ブロックがひび割れ、浮いたままになっている

 そう考えながら移動していた筆者は、足元に違和感を覚えた。そこにあったのは、ひび割れて浮いた点字ブロックであった。よく見ると、その周辺の点字ブロックは、数メートルにわたって、割れたり浮いたり剥がれたりしていた。仙台市中心部といえども、何もかもが東日本大震災以前の状態に戻ったわけではないのだ。

 現在、東北大学・原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)の機構長を務める小谷元子教授(数学)は、

「東日本大震災から2年が経過しましたが、2年かけて震災前に戻ったのかというと……戻っていないと言えば、戻っていないですね」

 と語る。震災当時、東北大学・大学院理学研究科数学専攻の専攻長であった小谷氏にとって、震災とその後の復興への第一歩は、どのようなものであったのだろうか?