企業は何のために活動しているのか。
全ては、人々に価値あるものを届け、幸せにするためだ。だとすれば、本来、産業社会の中心にあるべきは顧客であり、その顧客の求めにこたえていくのが企業であろう、と転換したのである。これが顧客志向という考え方だ。
だが、コトラー氏は21世紀に入り、自らが提唱したこの顧客志向の考え方も進化すべきだと主張した。
皆さんも考えてほしい。上記の論理のどこに、問題があったのだろうか。
「顧客」などという生き物はいない
私たちは人間である
コトラーはこう指摘する。
企業は、「顧客」という存在を措定し、それに対して経営をするようになった。そこでは、本来、人間の生活の幸せのための活動であったものが、ときにただ顧客を得るための活動にすらなり得る。
上手な広告を打って市場を攻略する、効果的なキャッチフレーズで本当はその商品を必要としていない人々の欲求をも刺激する、不安をあおって購買を促す……といった調子である。
顧客のニーズをとらえるというマーケティング活動が、今や企業活動を誤らせている、というわけだ。
よくよく考えてほしい。
顧客などという生き物は、存在しない。私たちは、人間である。
「顧客」は、関心度の高いトピック、あおるようなタイトル、真偽の怪しいゴシップ記事に対して、高確率でリンクに飛んだり購買したりという反応を示す。
だが、人間はどうか。