またファンからしてみれば、史上最高額でドジャースと契約し、結婚を発表。その相手も申し分のない相手であり、順風満帆としか思えなかった大谷選手に、まさかのタイミングで「身内」の不祥事が持ち上がった。その「身内」がこれまでファンからも慕われてきた人物となれば、動揺が走って当然だ。

 メディアはこぞって水原氏の学歴詐称疑惑を報じたり、以前学歴詐称が報じられたタレントを持ち出して並べたりなどしている。これまで大谷選手との絆を美談のように持ち上げてきたマスコミが、手のひらを返しているように見える。

 誰もが予想していなかったのが今回の事態であるだけに、どのように受け止めて良いのか誰もわからないような状況だ。

 しかし、このような中で改めて考え直さなければならないのは、スターを過剰に崇めてしまうマスコミと受け手側の共犯関係ではないか。冒頭で紹介した指摘のように、マスコミを通して知ることができるその人の人格は、ほんの一部である。それはマスコミの編集によって、良くも悪くも手が加わっている。

 にもかかわらず、見る側はそれがその人のすべてであると思い込んでしまうことがある。さらに、いったんその人に対して何らかの印象を持つと、その印象に沿うような情報を集めやすくなる。そして現代のメディアは、視聴率やPVのために、視聴者が好むような情報を出そうとする傾向が強い。

水原氏を面白おかしく
書き立てる気にはなれない

 大谷選手と水原氏の間に信頼関係は確かにあっただろうが、それを美談のように強調し、そのイメージが強くなりすぎることは、本人たちへのプレッシャーにつながったかもしれない。

 スターの隣に居続けて、尋常ではないその成功ぶりを間近で見るのは、並の神経ではついていない体験だったのではないか。水原氏の成功と転落を、面白おかしく書き立てる気には決してなれない。求められるのは適度な距離感での応援と冷静さだろう。