近代以降、イエ同士ではなく個人間で結婚できるようになった。しかし、現代では男女共に相手に求める理想が上がり、結婚のハードルは高くなっている。特に女性は日本社会の構造的な理由からハイスペ男性を求めてしまうのだという。※本稿は、『パラサイト難婚社会』(朝日新書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
結婚は男性にとってはイベント
女性にとっては生まれ変わり
かつての「結婚」はイエのためのものだった。近代以降、「結婚」は個人のものとなり、個人が選べるものになりました。それは一見、良いことのように見えて、新たな疑問を差し出します。「何を決め手に、結婚をすればいいのか」という問いです。これぞ、「個人化の時代」の最大の問題点なのです。
多様な選択肢から人生を選べる時代、むしろ選ばなくてはならない時代に、何を決め手に「結婚を決めればいいのか」という問題です。しかも「結婚」は、ひとめぼれしたバッグを購入するのとはわけが違います。
基本的に「この選択」が、「自分の人生を決めてしまう」かもしれない大切な決断に、「好きに選んでいいよ」と言われた人間は、喜びや自由よりも、不安を感じるのではないでしょうか。「本当にこの人と結婚して、正解なのだろうか」と。
熱烈な大恋愛の末、「もう、この人と結婚できなかったら死ぬ!」と思える相手ならいいでしょう。「相手が好きだから」と確信できれば、「結婚は何のためか」の答えは至ってシンプルになります。
しかしながら、世の中の人々全員が、そんな大恋愛をできるわけではありません。恋愛に淡泊な人、平穏が好きな人、皆様々です。そもそもハリウッド映画のように、一瞬で恋に落ちるほど「ビジュアルも完璧で情熱的で、高収入で、精神が安定していて、優しくて常識のある」男性はそう多くはいません。
あるいは男性から見た場合は、「可愛くて、清楚で、両親受けもよく、家庭的で、料理がうまく、自分にも子どもにも優しそうで、かつ自分と趣味や話も合うレベル感」の女性と、どこででも出会えるわけではないのと同様に。なぜならそれが、現実だからです。
かつて私は、「結婚とは、男性にとってはイベント、女性にとっては生まれ変わり」と指摘しました(『結婚の社会学』丸善ライブラリー)。すでに30年近く前になりますが、幸か不幸か、その指摘は現在も決して的外れではないと思っています。
極論すれば、男性にとって結婚は人生の一通過点でしかありません。男性は、結婚で人生のコースが変わるとは思っていません。実際に「結婚」した結果、男性が人生のコースを大きく外れることはほとんどないのです(よほどの『悪妻』などでもない限り)。
多くの日本人女性にとって
結婚と経済的安定性はセット
男性は「寿退社」することはめったにありませんし、「出産」で産休に入ることも、「育児」で出世コースを外れることもないのです。少なくともほとんどの男性がそう思っています。