すると、「あの人にお願いすれば大丈夫」と周囲に信頼されるのは、「とにかく職場にいて、仕事のことを最優先して取り組んでくれる人」ということになってきます。「納期に間に合わないから至急これやっといて」といわれたら「ハイ!」と二つ返事で引き受け、残業も休日出勤もいとわずやりとげる、というような人が「仕事のできる人」とされます。労働経済学者の熊沢誠さんは、これを「生活態度としての能力」と呼びました。

 けれども、労働者ならだれでも「仕事が最優先」にできるわけではありません。もし、その人が育児や介護をしながら働いていたらどうでしょう。残業できないどころか、ケアしている家族が病気になれば欠勤せざるをえません。個人としてどんなに優れた能力を持っていても、仕事を後回しにせざるをえない状況があれば、「仕事ができない人」と見なされることになります。つまり、「能力は個人に宿るもの」という考え方は一面的であり、「だれがどんなときに『能力』を発揮できるのか」という個人の背後に広がる社会環境の問題を無視しているのです。

「できる人しか生き残れない」
そんな職場は生きづらすぎる

 第二に、「仕事のできる人」しか生き残れないような職場が多くの人にとって本当に望ましいのか、という点があります。人間は多様ですから、個々の人に注目したときに「能力が高い」「低い」と感じられるようなでこぼこは存在します。「役に立つ人間であれ、そうでなければ去れ」ということになれば、ほんの少しの不器用さや心身の不調など何らかの「弱さ」を抱えるために一人前にやれない、という人は、その職場にいられなくなります。それでは生きづらくはないでしょうか。

 これは実は「弱さ」や「できなさ」を抱えた人だけの問題ではありません。どんなに「できる人」であっても、いつも効率的に動けるわけではないからです。自分が病気や障害を負ったり、育児や介護をしなければならなくなることはあるし、何より、人はだれもがいつか老いて仕事ができなくなります。「仕事の世界は厳しい」とよくいわれますが、人間の生き死にがかかるケアの世界はもっと厳しく、常に仕事より優先されます。