実は、この時点で文春は極めて説得力のある情報を掴んでいました。本国モンゴルでは日本の大相撲が賭け事の対象となっていて、大金が動くため、貴ノ岩をはじめとした純粋勝負派の二子山一家がいると、胴元が確実に儲かる取り組みが成立しません。だから制裁を下したのだという情報です。しかし、遠くモンゴルまで赴き、モンゴルやくざが絡む賭博の裏が取れるはずもありません。

 いずれにせよ、相撲界での八百長はきちんと立証されることはほとんどなく、噂としてのみ流布し続けました。この疑惑は謎のまま残り、そしてつい最近では、その白鵬率いる宮城野部屋が貴乃花と同じ道をたどります。門下の北青鵬の暴行事件を受け、監督不行き届きで宮城野部屋の力士はすべて伊勢ケ濱部屋に転籍となり、白鵬は二階級降格の処分を受けることになりました。

 以前、Jリーグの産みの親である川淵三郎さんとの席で「Jリーグ設立で一番参考にしたのは大相撲だ」という話を聞いたことがあります。確かに大相撲は、力士として出世できなくとも、国技館の茶店やそこに出入りする「弁当」「お菓子」「土産物」で生活が成り立つなど、アスリートの引退後のキャリアを考えた経営方式になっています(実は、今の大相撲という興業形式が完全に完成したのは戦後のことで、戦前は各部屋がバラバラに、東西対抗など色々な形で興業をしていました)。Jリーグもコーチ資格のテストをしたり、すそ野にサッカースクールやアカデミーを作ったりするなど、セカンドキャリアを考えた構造になっています。

 川淵氏は、「戦後まもない時期にこのシステムを考えた人たちは凄い」と絶賛していましたが、今や相撲は外国人力士が主体となって、そのシステムも壊れつつあります。ドーピング検査が義務付けられていないプロスポーツは世界中にもうほとんどないし、試合をする選手が前日に会食することを許すスポーツもありえません。

大相撲の栄枯盛衰を実感した
心優しき名力士の死

 プロスポーツはすべて賭け事の対象となりうるというのが世界の常識。しかも、海外の公的賭博の対象となりえます。さらに、それは反社会勢力の利益になりうるという前提でルールを作るのが世界の趨勢。日本人だけで試合をする前提で作られた大相撲のシステムは完全に時代遅れになっているのですが、それを意識して改革する人物も見当たりません。

 振り返れば、若貴の対立は「相撲=ショー」という考えの若と「相撲=国技・神事」と考える貴の、極端な価値観の対立にあったと思います。実際の大相撲はいかにも日本的な、その中間のスポーツだったのです。

 曙さんは88年にデビューし、相撲は若貴、経済はバブルという時代を横綱として過ごし、その後はプロレス転向と闘病の生活を送りました。大相撲の栄枯盛衰をまさに実感した人生だったのかもしれません。