昔、相撲ジャーナリストが語っていたことがこのとき、理解できました。

「本気で15日間、そして1年6場所を戦ったら、全員故障です。どこかで、手を抜くことが絶対必要。注射(八百長の隠語)は、やり方が下手になったからまずいだけで、まあ仕方がない面もあると思います」

大人気の貴乃花、悪役の曙
その後「世紀」の兄弟喧嘩が

 そんな文春が相撲記事を書くようになったのは、若貴ブームからです。そして、当時大人気の貴乃花のライバル、つまり悪役が曙でした。文春の特色は人間関係が興味の中心という点です。若貴問題でも、宮沢りえさんと貴乃花の婚約や女将さんとの関係などが主なテーマで、八百長にはあまり踏み込みませんでした。

 思えば、93年名古屋場所での若貴曙3人による優勝決定巴(ともえ)戦が、若貴ブームによって相撲そのものを愉しめる絶頂期だったかもしれません。

 結局、八百長に触れざるを得ない時期がきたのは、若貴兄弟の兄弟喧嘩からでした。貴乃花は1995年、兄に先んじて横綱になりました。横綱になれたのは、曙との千秋楽における大熱戦の末の勝利が最大の理由です。まだ大関だった若乃花は3年後の98年、横綱になりました。

 が、2人に少しずつすきま風が吹くようになったのも、この頃からでした。若貴は同部屋のため、直接対決を見る機会は、2人が優勝決定戦に進出するしかないのですが、95年の九州場所千秋楽でその対戦が実現したのです。12勝3敗同士の横綱貴乃花と、大関若乃花の優勝決定戦。日本中が熱狂した対戦は若乃花が激戦の末、辛勝するという結果になりました。

 しかし、実は貴乃花は「父から暗に負けるよう、ほのめかされた」と恨んでいたという噂が広まり始めました(本人は否定)。その上、2001年には2人の母・藤田紀子さんが親方と離婚します。98年以降、2人とも横綱という「本当の若貴時代」にはなったのですが、若乃花は2000年に早くも引退。貴乃花も03年に引退し、さらに05年に父である11代二子山が亡くなりました。

 ここから、一気に兄弟喧嘩が噴出します。突然、貴乃花がテレビなどで徹底的に若乃花と女将さんを批判し始めました。それまで「理想の家族」だったはずの二子山一家像が、音を立てて崩れた瞬間でした。我々も貴乃花を取材しましたが、彼の兄への攻撃の建前は「兄は相撲への心構えや練習態度がなっていない」でした。しかし本音は、若乃花の横綱昇進に関する疑惑でした。「国技である大相撲の横綱になるにあたって、星を譲ってもらって優勝した」というものです。