彼自身は、どの取り組みが八百長だったとは口にしませんでしたが、相撲界では公然と「曙と武蔵丸」の名前がささやかれていました。横綱になる以上、横綱との対戦で勝たないと優勝できません。となれば、同部屋の貴乃花とは対戦がないので、他の2人の外国人横綱に頼むしかありません。そして、「裏工作をしていたのが自分の両親だったはず」というのが貴乃花の論理です。

 若貴の人生を振り返ると、常に曙の存在がありました。が、そのことに当時は全然気づいていませんでした。

 兄弟喧嘩は部屋の相続問題にまで発展し、若乃花はすべての相続権を放棄、貴乃花が父親から二子山部屋を継ぐことになりますが、すでにバブルは崩壊していました。部屋の維持は大変で、だから親の遺産総取りをしなければならなかったというのが喧嘩の実相という人もいます。実際、遺産も食いつぶす形で、08年に不動産会社に部屋の土地建物を売却。16年に江東区に部屋を移転するまで、家賃を払い続けながら部屋を運営していたのです。

引退後の貴乃花に立ちはだかった
新たな外国人力士たち

 さて、引退してからの貴乃花には、曙とは違う外国人横綱たちが立ちはだかってきました。モンゴル人関取勢です。曙とは違ってモンゴル出身の力士は多く、各部屋に散らばり、にもかかわらず「モンゴル人同士で助け合いをしている」という噂が絶えません。つまり、優勝や負け越しがかかっていると、モンゴル人力士同士で星の貸し借りをやっているという噂です。

「国技相撲」という純粋さが根底にある貴乃花には、これが許せなかったのでしょう。その対立が爆発したのが、弟子の貴ノ岩(モンゴル出身)への暴行事件でした。

 17年11月、鳥取への巡業中、モンゴル人力士仲間から呼び出された貴ノ岩は、日馬富士を中心とするモンゴル人力士に「右中頭蓋底骨折、髄液漏れの疑い」というかなり酷い暴行を受けます。これは「横綱白鵬から貴ノ岩に負けろと指示があったのに、貴の岩が二子山部屋の真剣勝負の論理によって断ったため、あまり人がいない鳥取巡業で呼び出されて制裁を加えられた」というのが、角界の大体の解釈でした。

 が、貴乃花はこれを機会に、モンゴル勢のふるまいに制約を与えようと生真面目に考えすぎたのでしょうか。弟子を休場させたまま、本人もなかなか協会に報告を上げません。当時は横綱白鵬がいないと大相撲が成立しないほど白鵬に頼っている現状を理解せずに、まっすぐに進みすぎようとしたのが、かえって相撲協会の反発を買い、結局角界からの引退に追い込まれました。