(3)日本社会は巨悪を簡単にあきらめる
そして3番目の視点が私は隠れた問題だと思っています。
日本社会は小さな悪はどこまでも追及しますが、巨悪に関しては比較的簡単にあきらめるのです。
これはコンプライアンスという制度の本質から見れば真逆のことです。
犯罪集団がSNSを通じて巨額の犯罪利益を得ているとしたら(これは私たちが詐欺広告を目にする頻度から逆算すれば明らかな事実なのですが、ここでは形式合理性の観点から「したら」という言葉を使っておきます)、この事件こそ社会として一番力を入れて根絶しなければならない事件のはずです。
普通なら警察に通報してすぐに何とかしてもらうと市民感覚では思うのですが、本件はなぜかずっとなしのつぶてだったところから、ようやく「政治家が勉強会を開く」という入り口で始まっています。
日本には「○○タブー」という世界がいくつかあって、そういった世界では行政はすぐには動かない傾向があります。
GAFAMタブーもそのひとつで、アメリカないしは欧州の反トラスト法組織でないと対抗できないという実態から、行政はすぐには動きません。LINEに行政指導が何度も行われているのと比べることでタブーがよく理解できると思います。
今回の事件の興味深い点は、巨額の資金が反社から流れる組織が捕まらないという点にあります。
日本企業だったら一発でアウトの話であるにもかかわらず、行政は動いていないし、国民も仕方ないなと思っている。
日本の常識のひとつに「国会議員の犯罪容疑については検察は慎重に動く」というものがあります。それと同じでGAFAMに対しても行政は慎重に動きます。
常識なので私たちは当然のことのように思っていますが、冷静に考えれば詐欺被害の拡大を放置しているという点では少しおかしな話です。
さらにはそのようなことの積み重ねで、大きな力を持つ悪については、結果的に国民も「結局は捕まらないだろうな」とあきらめることにも慣らされてきました。
こうして状況を日本社会の問題として分析していると、皮肉なことにメタ社の声明が批判しているのは日本社会自体だという不都合な事実が見えてきました。
詐欺広告の被害について他人事だと思って生活している私たちの中に、本当の敵は潜んでいるのかもしれませんね。反省しました。