はじめに
もう22年も前のこと。
世界最大規模の会計事務所であるデロイト。その傘下の経営コンサルティング会社であるデロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社して8ヶ月。私は、帝国ホテルの会議室で、クライアント先の社長にこう言われました。
「安達さん、大丈夫?」
これは、コンサル失格を意味する言葉です。
コンサルタントは、企業経営者などの相談にのり、一緒に課題の解決を目指す仕事です。
しかし私は、「クライアントが不安になるようなふるまい」しかできず、相談にのる立場なのに、逆に心配させてしまった。コンサルタントとして失格です。
このコンサル失格の言葉をいただいてから、私の人生は変わりました。
はじめまして。
「ティネクト株式会社」の代表を務める安達裕哉と申します。
「コンサルティング会社に就職」と聞くと、“もともと頭がよくて、コミュニケーション能力も高かったんでしょ”と思われるかもしれませんが、私は決して頭がよかったわけでも、コミュニケーション能力が高かったわけでもありません。
実際、中高での勉強は全くダメで、成績は常に最下位レベル。浪人までしてかろうじて大学に滑り込みましたが、そこでも頭のいい人たちには全く敵わず、夢だった研究者の道も諦めざるをえませんでした。
コミュニケーションにいたっては、勉強以上に大の苦手で、口ベタな人間でした。大学の研究発表の1週間前から、“どう話そう”と考え始めたら、緊張して夜も眠れなくなるほど、ひどいものでした。
頭もよくない、コミュニケーションもダメ。
そのうえ研究者の夢を諦め、恥ずかしながら奨学金を返すために「少し給料が高い」というだけの理由で、就職したのがコンサルティング会社です。
しかも、コンサルティング会社に就職できたのも、当時私がたまたま、プログラミングができたおかげで、システムコンサルタントの大量採用に引っかかっただけです。
コンサルタントという仕事は、企業の、相談役です。社長の悩みを聞き、企業の問題を一緒に解決していく、知性とコミュニケーション能力が必要とされる職業です。
ですから、会社に入って私は非常に苦労しました。生まれて初めて、自発的に、真面目に勉強したといってもよいかもしれません。真剣に研修を受け、本も大量に読みました。
そして、入社して8ヶ月。冒頭の言葉です。
あれから私は、中小企業専門のコンサルティング部門立ち上げに参画し、大阪支社長、東京支社長を務め、今では、会社の経営者として、社員をマネジメントし、本を出版することができています。
頭がよいわけでもなく、コミュニケーション能力も高くなかった私が、なぜこうなれたのか?
それは、入社1年目でコンサルタント失格の烙印を押されてから、他者から信頼を取り戻すにはどうすればいいのかを徹底的に考えたからだと思います。
私のコンサルタント人生の特徴は、東京海上日動火災や日本生命、KDDI、帝国ホテルなど、だれもが知る上場企業だけでなく、茅ヶ崎の漁師、福井の社員6名の洗剤会社、飛ぶ鳥を落とす勢いのスタートアップIT企業など、北は北海道、南は沖縄まで、全国津々浦々、3000社を超える中小企業の経営者と仕事をし、対峙してきたことにあります。
会社の大きさを問わず、企業の長はみな覚悟を背負っています。一筋縄ではいかない、クセの強い人たちもたくさんいました。
私はコンサルタントとして、入社1年目から、その道30年を超える企業の社長たちに、信頼してもらわなければいけませんでした。
入社1年目の若造がどうやってその道30年を超える社長から信頼を得ていったのかについては、本書でおいおい話していきますが、学歴も、会社名も、著名な学者の経営論も通用しない相手に、
バカにされず
勉強ができるだけのいけすかない奴ではなく
一緒にビジネスをしようと思える人
と認識され、信頼されるには“話す前にちゃんと考える”ということが欠かせませんでした。
結果は、話す前に決まっている。
プレゼンにしろ、商談にしろ、上司への報告にしろ、はたまたプロポーズでさえ。
これが、私が新卒でコンサルティング会社に就職し12年、その後、会社を10年経営してきてたどり着いた結論です。
この22年間で、3000社もの企業の社長と、頭のいい優秀なコンサルタントの先輩や上司から得た知見を、だれでも、どの業種でも、どの時代でも通用する形にまとめたのが本書『頭のいい人が話す前に考えていること』です。