JALの機体と意識改革書面Photo:Bloomberg/gettyimages

戦後最大規模の経営破綻に至ったJALが、再上場してから9月19日で11年を迎えた。後に“奇跡”と称される復活に導いたのが、京セラ創業者の故・稲盛和夫氏だ。「経営の神様」稲盛氏のいまだ知られざる秘話や経営哲学の源流を再発掘する連載『シン・稲盛和夫論』の本稿では、JALの再建の肝となった「意識改革」を巡る重要内部資料を初公開。その書面を巡る当時の稲盛氏の対応は、一見“スパルタ”にも映る「副官育成術」が学べるケーススタディーと言えるだろう。(ダイヤモンド編集部 竹田幸平)

戦後最大規模の経営破綻から
2年7カ月で“奇跡”の再上場へ

 負債額2兆3000億円超――。世界に冠たる“日の丸航空会社”だったはずの日本航空(JAL)が2010年1月、事業会社として戦後最大規模の破綻に至った。そのJALが12年に東京証券取引所へ再上場してから、9月19日で11年を迎えた。史上まれにみる負債規模に鑑みれば、再上場までの2年7カ月という期間は、驚くほど短い。

 少し当時を振り返ろう。破綻が決定的となった際、大きな課題となったのは、誰をトップに据えて再建を図るかであった。何しろ、JALは国益をも左右する一大企業だ。そこで政府が白羽の矢を立てたのが、京セラとKDDIを創業し、巨大企業に育て上げた実績を持つ大物経営者の稲盛和夫氏(当時京セラ名誉会長)だった。

 航空業界に疎いことや当時80歳手前の高齢などを理由に、当初稲盛氏は固辞を貫いた。だが、度重なる要請を受けて、最終的には折れる形で「無給」を条件に受諾。そして稲盛氏のJAL会長就任と併せ、給与カットや人員削減などを含む再建計画が公表されたが、それまでのJALは倒産に至るまで、幾度も計画を発表しては未達を繰り返していた。

 煎じ詰めて言えば、「計画」はあれど、それを「実行」する心構えがない――。稲盛氏はそんな問題意識から着任後、JAL幹部らに対し、自らの経営哲学に基づく「意識改革」を行った後、(少人数の単位で採算を管理する)「アメーバ経営」を実践し、グループ全体で一致団結すれば必ず再建できると説いた。

 というのも、倒産直後のJAL社内には、根深い相互不信が広がっていた。幹部はエリート意識が強く現場を見下ろしがちな一方、社員側も経営陣に不信感を抱き、現場はマニュアル至上主義に縛られている。そこで、稲盛氏はアメーバ経営に先立ち、互いに助け合えるような一体感を醸成する意識改革が不可欠と考えたのだ。

 その意識改革担当を託されたのが、京セラ取締役秘書室長などとして、約四半世紀にわたり稲盛氏に仕えてきた大田嘉仁氏(現MTG取締役会長)。稲盛氏が「副官」と呼び、絶大な信頼を寄せた人物だ。10年1月のJAL更生法適用申請と自身の会長就任に関する記者会見を欠席した稲盛氏は、大田氏へ代理出席を頼んでいたほど。大田氏は意識改革の他にも、再上場や調達など、多岐にわたりJAL再建を巡って稲盛氏のサポート役を務めることになる。

 次ページでは、そんな大田氏が取りまとめ、具体的な意識改革プランとして稲盛氏に提案した重要内部資料を初公開。その書面を巡る稲盛氏の対応には、一見“スパルタ”でありながらも、リスクと引き換えに本気で部下を育てる覚悟も垣間見える。JALの意識改革を巡る当時のケーススタディーは、リーダーの育て方に悩める経営者やビジネスパーソンにも大いにヒントとなるだろう。