日本に居場所がないと感じるのは石田さんだけではない

 遺骨を見送り、肩の荷を下ろした斉藤さんだったが、気持ちの中には小さなモヤモヤが残っていた。

「骨つぼは、日本の空港からゆうパックで実家へ送ったそうなんです」と斉藤さんがつぶやく。遺族にとって、石田さんは歓迎される人ではなかったことがわかる一言だった。遺族は遺品も引き取ろうとはせず、斉藤さんに処分を委ねたという。

 深い事情はわからない。推察できるのは、何十年か前にあったかもしれない家族との意見の対立や考え方の食い違いだが、それは骨になっても許し難い深刻なものだったということなのだろう。日本では核家族化がさらに進行して、個人と個人のつながりさえ維持できないような状況にある。そんな日本に居場所がないと感じるのは、故人となった石田さんだけではないかもしれない。

 やっかみや足の引っ張り合い、古い価値観や不寛容さ――、そんな日本社会からアジアに目を向ければ、貧しくとも寛容さや温情に満ちた社会がある。そこに居心地のよさを感じ長い間滞在する日本人がいても不思議ではない。だが、いつまでも若い自分ではいられない。

『ザ・ノンフィクション』の中で、フィリピンに流れ着いた平山さんは、自身の寿命が尽きるのを待っているかのようだった。金もなくその日暮らし、身なりもボロボロのシャツ姿だ。けれども不幸せではなさそうだった。フィリピンには「糸の切れたたこ」同然になった平山さんを受け入れる現地の家族があり、また平山さんが言葉を交わすことができる“ご近所”という空間もあるようだった。

 アジアを漂流する日本の高齢者の意外な一面に、一言では語り尽くせない複雑な因果関係を見た。「私の父のなれのはて」は衝撃的なタイトルだったが、むしろその選択は、日本の社会が生んだ必然の結果だと思えてならない。