魔女狩りを禁止どころか政治利用
「魔術防止と魔術処罰に関する法律」も

 驚いたことに、アフリカのいくつかの国では魔女狩りを禁止するどころか、それを利用して政治の不安定を克服しようとしている。

 たとえばウガンダやカメルーンでは、政府が魔術容疑者を長期の勾留刑にするのを認めており、そのために「魔術防止と魔術処罰に関する法律」「反魔法五カ年計画」を制定したり、ラジオなどの広報手段で宣伝したりしているという。

 ベナン人民共和国では、社会主義を推し進めようとした若い指導者らが、貧富の差が拡大し民衆が搾取されたのは、妖術を使う魔女と妖術師の責任だとして1975年彼女らへの戦いを宣言し、民衆を煽るために宣伝の切手まで発行した。

 なおガーナではつい最近(2023年7月28日)、妖術を使ったと非難された人々を保護する法案が国会で通過し、彼女らは虐待や追放から法的に守られることになった。

 インドの魔女狩りも知られており、イギリス植民地時代だけではなく、独立後も何千人もが魔女・妖術師として殺害された。

 何者かに髪を切られる事件が連続して魔女の仕業とされるケースや、その土地を手に入れたい男性親族が、子どものいない寡婦を魔女と告発、極端な場合はリンチ殺人となってしまうケースなどが伝えられている。魔女はたとえ殺されなくても村から永久追放され、その家族は汚名を着せられた。

20世紀に巻き起こった
カウンター・カルチャーとしての魔女

 殺害される魔女がいる一方で、現代文明のカウンター・カルチャーとして自ら魔女たる道を選んで生活をしている女性たちが、最近のブームである。

 1921年、エジプト学者マーガレット・マレーは『西欧における魔女崇拝』で、19世紀半ばのグリム兄弟などの考え方を引き継いで、近世ヨーロッパで魔女狩りの対象となった魔女の起源を、キリスト教以前の太古の時代から存続する異教の豊穣女神に求めた。

 つづいて彼女は『魔女の神』(1931年)を上梓して、魔女を古来の有角神崇拝および神聖なる生贄儀式と結びつけた。

 マレーによる拡大概念が刺激となって、第二次世界大戦後、英米で多神教的な自然崇拝の新魔女運動(ウィッカが代表)が展開した。