キャリアブレイクは「逃げ」ではなく
働く人の立派な選択肢のひとつ

 キャリアブレイクを検討し始めたときに、「同じ会社でもう少し続けてみる」「同じ会社で環境を変えてもらう」「違う会社に転職する」のような他の選択肢もあります。

 なんだったら、他の選択肢の方が多数派で、キャリアブレイクという選択肢が一番大きなリスクであり、よく分からない(説明が難しい)選択肢に見えます。定期的な収入がなくなること、離職期間が履歴書に残るため復職しにくいのではという疑心、休職の場合であっても、休んだ=仕事ができない=弱いやつといったラベルを周囲から貼られるのではないかという不安、そんなリスクが頭をよぎります。多くの人が「そこまでしてわざわざ辞める必要はあるのだろうか」と、選択することを躊躇します。

「わざわざ辞める必要があるのか」の答えとしては、人によっては、辞める必要があったとしか言えないと思います。それは他人が出せる答えではありません。ただ、キャリアブレイクした人のエピソードをなかなか聞く機会がなく、どんな選択肢なのか想像できないという人は多いと思います。決断した人が偉い、転職した人が偉い、働き続けた人がすごい、キャリアブレイクした人は逃げた、というように価値観を決めたい訳ではなく、ただ1つの選択肢として知っていただきたいだけなのです。

自分が自分らしくいられない環境に
身を置き続ける必要があるのか?

 わざわざ辞めた、離れた人たちの中には、「私が私じゃなくなる」「自分のことを嫌いになりそう」というような感覚を話される方が多くいます。自分自身の中にある「感性」や「自分らしさ」が失われていく危機感や、それが失われていくことが当たり前の環境に対する違和感、また失われることで感じる将来への閉塞感、などを持っています。

 そんなことは社会に出たら当たり前、働くとはそういうことだ、と言われればそれまでですし、そういった価値観を全て否定する訳ではありません。やりたくないけれども社会に必要だという理由で、ぐっと我慢して働いている人、家族のためにいろんなことを犠牲にして、我慢して働いている人がいることも分かります。ただ、そういった自身の感性をつぶされることに、どうしても我慢できない感性を持った人たちがいて、その人たちがキャリアブレイクを用いてその呪いを解き、自分の可能性を開いていく生き方をしているのは事実です。