遺体安置所になった体育館に入ると、そこには木製の棺ではなく、黒色の遺体の収容袋が15袋ほど冷たい床に並べられていた。

 警察官がそのうちの一つのファスナーを引き下げたとき、凍りついたような娘の顔が現れた。

「うっ、うっ、うっ……」

 言葉は何一つ出てこなかった。感情をうまく整理できない。どうして俺は娘を守ってあげられなかったのか、そんな後悔が胸の奥から込み上げてきた。

 だから5日後の3月18日、妻のグレースの遺体が遺体安置所に運ばれてきたときには、絶望よりも「見つかって良かった」という安堵の思いが先に胸に来た。

 涙ぐみながら冷たくなった妻に声を掛けた。

「グレース、向こうで真里亜を頼んだぞ。真里亜、ママと一緒で良かったな……」

 蛭田が悲しみに暮れているその一方で、彼の職場である福島第一原発はそのときすでに1、3、4号機が水素爆発し、日本列島の東半分が破滅の崖っぷちに立たされていた。

 数日後、彼のもとにも職場の上司から「復旧作業に加わってもらえないだろうか」と復帰を要請する電話が入った。

 今こそ国家に身を捧げるべきなのだろうか──。

 そう悩んだものの、今は国家よりもまず自分の家族を優先すべきだと考え、妻子を火葬し、母親の自宅で寝泊まりしながら、海辺に散らばっている妻のバッグや娘のランドセルなどを集めて回った。

 ある日、遺留品を受け取りに出向いた警察署で、隣人の女性から二人の最期について聞かされた。

「グレースさんと真里亜ちゃん、実は地震の後に山に逃げたんだわ。でも、犬がいるからって家に戻って。出てきたときには、一匹ずつ胸に犬を抱えて津波の前で立ち尽くしていた。私は『逃げて、逃げて!』と叫んだのだけれど……」

 隣人は泣きながら震えていた。

「ありがとうございます」と彼は頭を下げた後、女性の肩を抱きしめながら思った。

「津波で亡くなった人も、生き残った人も、みんな可哀想だ。こんな地獄のような記憶を、この先一生抱きしめて生きていかなければならないのだから……」

「あいつら会いに来てくれた」
墓参りで起きた奇跡

 JR柏崎駅前のカフェレストランに差し込む夕日を受けて、蛭田の坊主頭がオレンジ色に染まっていた。逆光の位置に座った私の席からは、彼の目が少し充血しているようにも見えたが、それが夕日の影響なのか、あるいは感情の表れなのかまではわからなかった。