最近の研究では、自分が命の危険に関わるような場面(たとえば高い崖から真っ逆さまに落下しているときなど)に遭遇したときは、脳は大量のエネルギーを消費して活動し、詳細な情報処理を行うことを明らかにしている。おそらく、外界の事物事象の変化がスローモーションのように感じるような体験が起こっているのではないかと推察される。

 脳は、生存・繁殖の成功度を基準にして、省エネの「思い込み」のような情報処理と、どうしても必要な時の、エネルギーを多く使う詳細な情報処理を使い分け、総合的に生存・繁殖の成功率を上げるような仕組みにつくられているのだと思われる。

 省エネの「思い込み」は、少なくとも、「自然の中での狩猟採集生活」においては、実際、生存・繁殖という点で有利に働いていた可能性が高い。雷や嵐などの原因を神といった大いなる力のせいにしたり、噂を無批判に信じたりすることは、脳活動によるエネルギーの消費を少なくしてくれる。雷や嵐、噂などについて、それらの理由や真偽を脳内で、大きなエネルギーを消費して考え続けることは、大抵の場合、生存・繁殖に不利だったに違いない。

「常識は疑ってかかれ」という言葉がわざわざ警句として発せられることは、そもそもヒトの脳が、省エネの「思い込み」を行いやすい傾向を有していることを示唆している。

 ただしだ。では現代社会ではどうか、というと状況は異なってくる。科学技術や経済の規模やその動き方、人間関係や人間同士で交わされる情報の複雑さなどが格段に増した現代では、省エネの思い込みが、生存・繁殖に不利になる場面が増えてきたといえるのではないだろうか。

 拙著「苦しいとき脳に効く動物行動学」(築地書館)の裏表紙には、私が書いた本文に目を通された編集担当の方の、全体の内容を表現するコピーとして、次のような文が記してある。

「もし、現代が一〇〇人の狩猟採集生活を送る集団だったら振り込め詐欺にひっかからない人は生き残っていないだろう。」

 読者の方は、このコピー文がどういうことを意味しているか、直ぐには、おわかりにならないかもしれない。

 このコピー文こそ、まさに、先の文章「ただしだ。では現代社会ではどうか、というと状況は異なってくる。科学技術や経済の規模やその動き方、人間関係や人間同士で交わされる情報の複雑さなどが格段に増した現代では、省エネの思い込みが、生存・繁殖に不利になる場面が増えてきたといえるのではないだろうか」を逆説的な言い方で表した名コピーなのだ。