自叙伝には、自身の感情を赤裸々に語ったり、特定の出来事について長々と語ったりするものが散見されるが、そうした筆者の熱量は、ときに読者を興ざめさせてしまいかねない。その点において菊池寛の『半自叙伝』は、抑制をきかせた淡々とした語り口が読み手の心をグッと引き寄せる。英文学者、エッセイストでベストセラー「思考の整理学」の著者としても知られる外山滋比古が激推しする、自分史のバイブルとも言える傑作の魅力に迫る。※本稿は、外山滋比古『人生の整理学 読まれる自分史を書く』(イースト・プレス)の一部を抜粋・編集したものです。
自叙伝はたいていつまらないが
菊池寛の『半自叙伝』は大違い
自叙伝というものが書かれるようになってからの歴史の浅いこともあって、この名を冠した文章にはすぐれたものがすくない。
日本経済新聞は毎日、「私の履歴書」を連載している。各界の名士が、1カ月ひとりで自伝を書くのである。もう何十年も続いていて同紙のフィーチャーのひとつになっている。
それを読んでも、これはおもしろいと思うものはすくない。その日、その日は、なんとなく読まされても、まとめて、本になったのを通読すると、たいてい途中で退屈したり、つまらなくなるのである。
この連載は紙上では、毎回、1600字、400字原稿用紙で4枚の分量である。これくらい短いと読みやすいが、長くなると、あきてくる。自伝というものの宿命かもしれない。
そんなことを考えていて、菊池寛の『半自叙伝』を読むと、びっくりする。一気に、息もつかせず、最後まで読むものをひっぱっていく。おそろしいほどの迫力がある。とくにおもしろく書こうとしているのではないが、無類のおもしろさである。自叙伝の白眉である。ほかにこれに迫るもののあることを知らない。
菊池寛の主宰する雑誌「文藝春秋」の昭和3年4月号から翌4年12月号まで連載されたもので、はじめに、前置きがあって、「自分は自叙伝など、少しも書きたくない」と、人を食ったようなことを言う。「たゞ、『文藝春秋』に何かもうすこし書きたいため、自叙伝的なものでも書いてみようかと思うのである」というのが、執筆の動機である。
「具体的な記憶に乏しい。……私は、少年時代の出来事を記述などはしない」というから、成人してからの話ではじまるのか、と思うと、ちゃんと幼少のことから書いている。しかも、かなり、こまかく書かれていて、はじめのことばなどは忘れたかのようである。
しかし、こういう筆者のさりげない口ぶりが、読者に圧迫感を与えない理由のひとつではないかと思う。構えて、力んで向かってこられては、読む側では、たじたじとなる。
幼少期を覚えていないと言いつつ
菊池寛は書き出したら止まらない
昭和3年、菊池寛は40歳。わが国の小説家として空前の人気と名声を博していた。その人が自伝を書くとなれば、どうしても重いものになりがちである。そういう読者の気持を軽くしてくれるのが、書きたくない、といったことばである。さすがに読者の心理をよく知っている。
こどものころのことなど書かない、と言っておきながら、かなりくわしく書かれている。ことに遊びについては、なつかしさにひかれてであろう、雄弁である。