男性写真はイメージです Photo:PIXTA

教訓、真理、知恵などは一見すると抽象的で分かりにくい。しかし、ストーリーに乗せて寓話にすれば、その教えは心の奥にスムーズに届けられるという。人生について考えを深めたり、スピーチの材料にも最適な寓話に耳を傾けたりしよう。本稿は、戸田智弘『人生の道しるべになる 座右の寓話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・編集したものです。

「教え」を物語で包み込んだ寓話
二重構造が生む3つの効果とは

 心理学者の河合隼雄は『おはなしの知恵〈新装版〉』(朝日新聞出版)の中で、自然科学の力と対比しながら「おはなし」の力について次のようなことを述べている。

「『私』という人間がこの世に今存在し、しかも必ず死ぬということはまったく不思議なことである」

 たとえば、他人の死については自然科学的に解明できるだろう。しかし、自分の家族の死、自分自身の死となるとどうだろうか。それを自然科学的な説明で自分の心の中におさめることは困難である。人間の生や死という問題は合理的な考え方だけで片づけられるものではないからだ。「おはなしは非合理であったり非論理的であったりする」

 だからこそ、こういった不思議さを主観的な納得をもって自分の腹におさめる力を「おはなし」は持っている。人間は「自分の人生を、かけがえのない全き人生として生きる」ために「おはなし」を必要としているのである。

 そうした寓話の魅力とは、教訓や真理、知恵といった〈教え〉を楽しみながら吸収できることだ。寓話の構造はその核に〈教え〉があり、その核を物語が包みこんでいると説明できる。

 なぜそのような二重構造をしているのか。〈教え〉を物語で包みこんで差し出すこと(単に〈教え〉を説くだけではない)によってどのような効果が生まれるのだろうか。

 1つ目は、説教臭さが減じられることだ。

 私たちは説教されることに少なからぬ拒否感を覚える。これは子どもから大人まで年齢を問わない。しかし、物語には喜んで耳を傾け、物語の中に含まれている〈教え〉を楽しみながら自分で見つけ出そうする。

 2つ目は、抽象的な観念(=〈教え〉)が具体性を持った物語で表現されることによって、〈教え〉がより理解しやすくなることだ。

 たとえば、「勇敢であれ」「謙虚であれ」と言われてもその意味するところをつかむのはなかなか難しい。しかし、抽象的な観念を物語に託してわかりやすく表現されることによって、私たちはその意味を了解しやすくなる。

 3つ目は、物語に入りこむことで感情が喚起され、〈教え〉がより強く自分の心に刻まれることだ。

 物語は私たちに、人生のさまざまな問題を擬似的に体験できる機会を提供してくれる。

 この疑似的な体験によってさまざまな感情(主人公への共感や反発、ストーリーへの期待感、結末に対する驚きや安堵など)が私たちの心の中に沸き起こる。感情を伴う体験は何よりも記憶に残りやすいのだ。