いわゆる「優秀な営業」に、なりたいと思えなかった

 出社した僕は、まず「会社として、あるべき姿」を考えてみました。
 他社と比べて「決定的にこれが違う!」という点を見つけられたら、もっと胸を張って営業活動ができると思ったのです。

 ところが5時間考えても、答えはまったく出ませんでした。
 入社からまだ半年ほどの僕には、明確な強みがわからなかったのです。

 そこで今度は、「営業として、あるべき姿」を考えてみました。
 「どんなお客様も説得できる営業」「契約を勝ち取るまで粘り続ける営業」……。
 社内の成績優秀者の姿を想像すると、言葉はいくつもスラスラと出てきました。

 でも気が弱い僕は、お客様に渋い顔をされると何も言えなくなってしまいます。
 いちど断られた相手に再度営業をかけるなんて怒られるのが怖くてできません。
 自分の性格を考えると、どれも難しいように思えました。
 それに、心の底から「そんな営業になりたい!」とは思えませんでした。

 もう時刻は夕方を回っていました。
 なんとか今年中にこのモヤモヤを解消して新年を迎えたい。
 でも、会社の強みもわからない、営業としてあるべき姿も共感できない。

 焦った僕は、ふと「これまで、自分には合わない姿を目指していたからモヤモヤしていたのかもしれない」と考えました。
 そこで、もしもこの会社で働いていなくても、営業をしていなかったとしても、自分が「ひとりの人間としてどう在りたいのか」を考えてみたのです。

すべての仕事は、「同じ」だった

 すると、不思議なことが起こりました。
 それまではいくら考えても出てこなかった答えが、一瞬で出てきたのです。

「目の前の人の、記憶に残る人でありたい」

 僕はとまどいました。
 だってそれは、前職のリッツ・カールトンで働いていたときに大事にしていたことと同じだったからです。

「まったく違う仕事に就いたはずなのに、なぜ同じ答えが出てきたのだろう?」

 次の瞬間、オフィスにあるいろんな備品が目に入り、あることに気づきました。
 ホワイトボードに蛍光灯、デスク、椅子、ハサミ……。
 これらはすべて人が作り、人が売り、人が買い、人が使うものです。

 職業や業界は違っても、世の中のすべての仕事は「人と人のつながり」によって成り立っている。

 この事実に気づき、ハッとしました。

僕が信頼されていなかったのは「営業」を演じていたから

 7年前、僕はお客様に喜んでもらえるのが嬉しくて、ホテルマンになりました。
 自分なりの方法でお客様を喜ばせて、いちスタッフではなく「福島」として相手の記憶に残ることにやりがいを感じ、目標としていました。

 その気持ちは営業になったときも同じだったはず。
 それが「営業という役割」をこなそうと考えるうちに、いつの間にか、いちばん大切な心を失ってしまっていたのです。

「まったく違う仕事をしていると思っていたけど、ホテルマンも営業も、人と人とのつながりによる仕事であるのは同じだ」

 そう気づいた瞬間に、一気に視界が開けました。

 商品力が劣っていても、優秀な営業を演じられなくてもいい。
 相手の記憶に残れたら、その他大勢の営業とは違う存在になれる。
 それが信頼関係をつくる第一歩になるはずだ。

 営業の本質を、いや、仕事の本質を理解できたように思えました。
 そこから、目の前の人の記憶に残る方法を夢中になって考えました。
 気づけば時間は24時近く。外は真っ暗になり、初詣の客で賑わっていました。

 こうして僕の営業活動はがらりと変わり、翌年、表彰台に立つことができました。

(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)

福島 靖(ふくしま・やすし)
「福島靖事務所」代表。経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、「俳優になる」ことを口実に18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。同社が大切にするホスピタリティを体現し、6年間で約6000人のお客様に名前を尋ねられるほどの「記憶に残る接客術」を身につける。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、リッツ・カールトン時代に大切にしていた「記憶に残る」という在り方を実践したことで、1年で紹介数、顧客満足度、ともに全国1位に。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSky(プライベート・ジェット機の販売・運航業)に入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。本書が初の著書となる。