91歳となった現在も作家・作詞家として精力的に活動を続ける五木寛之氏。昨年刊行されたエッセイ『新・地図のない旅』の話を通して、氏の人生に通ずる信念や原動力に迫る。(清談社 松嶋千春)

死ぬまで連れ添う
自分のカラダと向き合う

完全な孤独というのは本当はないのである。人は、「自分とカラダの二人連れ」なのではあるまいか。(平凡社『新・地図のない旅I』より)

――『新・地図のない旅』シリーズ1巻のなかでも、このパートがとくにグッときました。心に余裕がないときは体のこともおざなりになりがちですが、そんな時こそ気を配らないといけないと感じました。

「それぞれに歴史がある」作家・五木寛之が山ほどたまっても「絶対に捨てないもの」とは?(c)平凡社

五木 そうだよね。1人の人間には2人の人格があって、1人は体、1人は心という。だから、体の具合が悪くて寝たきりでも、心が丈夫であればなんとかなる。また逆に、心が孤独で本当につらい状況でも、体が健康であればなんとかなる。このように、互いに支え合っていくものですから。

――足指に名前をつけて、労いの言葉をかけながらマッサージをするというエピソードも面白かったです(笑)。五木先生の趣味は「養生」とのことですが、お体の調子はいかがですか?

五木 今は膝の関節と股関節の具合がよくないのだけれど、90年も使えば当然ですから。まぁなんとか体と仲良く、騙し騙し使ってます。

 心臓外科や脳外科など高度な医療が発達してる時代だけれど、日々新聞に載っている広告って結局、腰痛とか足の不自由さとか、そんなことばっかりですよ。国民病とも言えるぐらい多くの人が非常に古典的な体の悩みを抱えているわけだから、リウマチの名医だとか、そういったところにもっとスポットが当たってもいいと思うんだけどねぇ。

――昔から続けられている養生として「歩き方」を挙げられていますね。

五木 戦時中、軍事教練で軍隊式の歩き方を教わったこともあり、子どもの頃から歩くということに対する関心は高かったです。昔の日本列島には定住して農業を生業にしている民族と、その間を血液のように移動して生活する流動民がいて、彼らの連携のなかに日本という国があった。歩く人々、移動する人々というのは、『風の王国』(新潮社)をはじめ、僕の小説の定番テーマではあります。

 歩くこと一つとっても、そのなかの歩きの思想や哲学、あるいは理論とか、本気で取り組んだら本当に尽きせぬ深い世界だと思いますよ。

――禅の研究も熱心になさっています。

五木 禅にも色々あって、座禅のほかにも立禅(りゅうぜん)、寝禅(しんぜん)、歩禅(ほぜん)、あとは歌う禅というのもあるんですよ。僕は白隠慧鶴(はくいんえかく)の『夜船閑話』(やせんかんな)という本を“座右の本”の一冊に入れているんですが、日本人は呼吸や歩き方というものを、哲学、思想、それから宗教として捉えてきた。