――『新・地図のない旅III』の「着たきりスズメの弁」で、1年中ほぼ同じ格好をしていると書かれていたので、身につけるものに関してはミニマリストなのかと勘違いしていました。たくさんお持ちなんですね。

五木 今着ている洋服や靴は、40、50年前のものですよ。ズボンは年に4本ずつ、10年間で40本、腕利きの職人さんに仕立ててもらったものが全部残っています。

 ズボンの裾幅なんかは今の流行と違っている部分もあるけれど、やっぱり洋服というものは、自分が一生懸命ファッションに凝っていた時代のものを着ているほうが、高齢者の場合はしっくりくると思いますね。僕は、1960年代のファッションで通してます。

――いいものを長く使う、とはよく言いますが、本当に物持ちがいいんですね。コレクションのなかでも、特に思い入れのあるアイテムってありますか。

五木 20代の頃、横浜のラジオ関東というラジオ局で構成作家の仕事をしていて、その当時『ブルー・スエード・シューズ』というアメリカのポップスがものすごく大流行していた。街中にその曲が流れていて、信濃屋という横浜の人なら誰でも知っている有名な洋品店の前を通りかかったとき、ショーウィンドウに青いスエードの靴があった。

「これがブルー・スエード・シューズか!」と思って、その年のボーナスをはたいて買ったんです。結局はずっと履かないでそのままになっているんだけれど、その靴を見ると『ブルー・スエード・シューズ』という歌が思い出され、その歌が思い出されると、当時の横浜が彷彿として浮かんでくる――それを依り代と言うのです。

旅人・五木寛之の
ふるさとは

――泉鏡花文学賞の設立に関わるなど、金沢との縁が深い五木先生ですが、第二の故郷のような感覚でしょうか?

五木 僕にとっての故郷はいっぱいあるのでね。生まれた故郷は福岡、少年時代の故郷は平壌やソウルということになる。金沢で僕は新人賞をもらって、そこから作家人生がスタートしたわけだから、金沢は作家としての故郷だ。

――休筆時に、京都に住まわれていたことも。

五木 京都の仏教系の大学に通っていましたね。京都の東区の税務署に住民税を払って住んだわけですから、京都人にはなれないけれども、何年かの間、京都市民ではあった。

 東京は仕事の故郷、京都は学びの故郷であり、金沢は作家としての故郷である。もう50年以上住んでいる横浜は、第二の故郷であり、現在の出発点とも言える。複数の故郷っていうのは、やはりそれぞれにどれも懐かしいです。いろんな土地に、旅行者として通過したというだけではなく、そこに住んで暮らした経験や思い出は、物を書くうえでの財産になっています。