朝に2時間、夜に2時間
臓器提供のための減量作戦

 2019年4月1日。地下鉄半蔵門線の錦糸町駅をエスカレーターで地上に出ると、桜が舞っていた。

 目的地は駅からわずか約300メートル。プロ野球の元監督へのインタビューに向かっていた。しかし、50メートルも行かないうちに視界が真っ白になり、かがみ込んで植え込みにひとしきり吐いた。

 少し持ち直すと、背中に手のぬくもりを感じた。ギョッとして振り返ると、見知らぬ年配の男性。「兄ちゃん、飲み過ぎはいかん。ほどほどにな」と、背中をさすってくれていた。花見の酔客と間違えられたようだ。心底情けなかったが、下町の人情を感じた。

 一方、母――。朝晩のウォーキングを始め、途中何度も私のスマホを鳴らしてくる。

「あなたの好きな海が見えるわよ」「もう5駅分歩いたわ」

 私は「ありがとう」と謝意を伝えながらも、「歩いただけでは……」と期待せずにいた。

 そうして1週間ほどたったある日、スマホから母の声と共に、かすかに聞こえる雑音に気づいた。「ザッ、ザッ、ザッ……」。靴で地面を踏む音だった。

「どのくらい歩いているの?」。尋ねると、ガラケー片手の母は息を切らしながら答えた。

「朝に2時間、夜に2時間。歩数計は1日2万歩以上よ。ずっと歩いているわ。あなた、聞いていなかったの?」

 体のきつさもあって、母の話はほとんど耳に入っていなかった。それがこの日から、毎日朝夕聞こえる母の足音に励まされるようになる。「もう少しの我慢。必ず痩せるから。信じなさいよ」。いつもそう通話を締めくくる母の声も、日に日に力強さを増している。

「お母さん、ありがとう。頑張って耐えるよ」

 私は、母を信じることにした。