「いきなりパワポ」「いきなりエクセル」は
議論の質を低下させてしまう

 僕がこうした手法を初めて体験したのは、ソニー時代にグローバル戦略プロジェクトに関わったときのことだ。

 このときのリサーチは、フィールドワークからスタートした。想定するユーザーの自宅に滞在させてもらい、その人のライフスタイルを肌身で実感するなかで、生の情報を蓄積していくのである。

 このプロジェクトで印象的だったのは、情報量の膨大さである。

 1回の現場リサーチでは、インタビューノートだけでもかなりの量になるが、写真データも200枚近くになる。これを持ち帰って分析するとなったとき、やはり視覚を用いた思考の力を実感した。

 写真をすべてプリントアウトし、それを大きなボードに貼りつけながらディスカッションを行ったところ、自分の理解の質も、チームの議論の具体性も大きく向上したのである。

 あそこまで膨大な情報を、パワーポイントの箇条書きやエクセルの表にまとめていては、なかなかそういうわけにはいかなかっただろう。

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アイデアをまとめていくときには、
やはり「言語化」が必要になる

 しかし、これを具体的なプランに落とし込んでいくときには、やはり「言葉」に頼らざるを得ない。

 視覚的な情報は、思考を「発散」させるうえでは非常に有効だが、議論を「収束」させていくときには、言語情報へと圧縮する手続きが必要になるのである。

 そういうときには、写真をいくつかのグループに分けたり、上下に配置を工夫したりしたあとに、ポストイットにキーワードを書き込んで近くに貼りつけていく。

 そうすることで、それぞれの写真が持っていた意味合いが明確になってくる。

 そのなかで新たな発見が出てきたら、写真の配置を構造化したりしながら、新しいポストイットを貼りつけて、より一層まとまりを明確にしていく。