「私らしさ」がわからなければ
直感のままに流されてみよう

『今昔物語』のなかに「わらしべ長者」という物語があります。

 ある貧乏な男が、「お金持ちになりたい」という願いをもって、あるお寺で観音さまにお願いをしました。すると、観音さまから「はじめに手に触れたものを大事に持って、旅にでなさい」というお告げを受けます。男はさっそく歩いて旅に出ます。

 歩き始めると、男は石につまずきました。そのとき、たまたま落ちていた「わらしべ」(藁の芯ないし屑)に触れました。「観音さまのお告げはこのわらしべのことだ」と思った男は、わらしべを大事に掴み、旅を続けました。

 長くなるので割愛しますが、このわらしべに寄ってきたアブを縛ると、それを親子に譲り密柑をもらい、その密柑を、喉を乾かせた商人に譲り布をもらい、侍の家来に布を譲って病気の馬をもらい、馬を長者に譲って家を得ることになったのです。観音さまのお告げを信じて、たった一本のわらしべを大事にした男が、最後には家を得てしまうという話です。

 この話で重要なのは、主人公の男にエゴがまったくないことです。観音さまのお告げとはいえ、掴んだものが藁だったら、「こんなもの」と思いたくもなります。ですが、男はなんの疑いもなくそれを信じました。ここに私たちが学ぶべきことがあると思っています。

 これは実際に、世の中で成功者と言われている人にも当てはまることだと思っています。事業で失敗したり、挫折しそうなタイミングで、「これをやってみなさい」と誰かに言われ、なんとなく「やってみようかな」と心を惹かれ、それを信じて愚直に取り組んだ結果、「その人らしい」と言われるいまがあるということがあります。

 私もそうでした。いまはお坊さんとして活動をしていますが、学生のころ最もなりたくなかったのがお坊さんでした。ほかになりたいものは何もなかったのですが、皮肉なことにそのお坊さんになっているわけです。当時の自分からみたら信じられないのですが、導かれるままに歩んできた結果だと思っています。

「私らしさ」とは何か、という苦しい問いに対して、最初に掴んだものが次につながっていく。そう信じて、「はからい」を捨てることも大切ではないかと思います。