まず、本質を見抜く目や高い知性と特別なコミュニケーション能力を持つ者がそもそも少ない。

 もしそのような者がいれば、道化ではなく、(一般的に見た場合の)会社にとって重要な役割を担わせようとするだろう。数字の実績を上げなければならないプレッシャーが、かつてよりもはるかに強くなってしまったのだ。

 道化の知的能力たるはすさまじいものがある。なにせ、トップと同じレベルの視座を持ち、それを見抜き、ユーモアたっぷりに皮肉を言うのだから。

 そんなすごい人を道化にしておく余裕などない(その優先順位のつけ方が問題なのであるが)。

 次に、帝王学を身に付けていない凡庸なトップは、自分の言動に対してあえて苦言を呈してくれる道化のような人物を絶対に近くに置こうとはしない。トップの器が大きく、また古典の素養や時代を超えて機能する組織力学などへの知見があれば、知的な皮肉の応酬や道化の鋭利な直言を好んだりすることもあるかもしれないが、そのような人はめったにいない。

 今のトップは多少金もうけがうまいとか、人あしらいがうまいとか、上役に気に入られる立ち居振る舞いができることでトップになっているのである。

優秀な人間は他社からも引く手あまた
道化のような存在をつくることは難しい

 そして、道化役ができる人物を発見し、特別に育成すると言っても、伝統がなくなってしまった今となっては、その育成方法も分からないし、そのような人に与えるインセンティブもない。

 昔のように、ある意味、いい加減な人事制度であれば、職能資格上の上位に適当にすべりこませることもできたろう。

 しかし、今のように職務ベースで役職を考えるようになると、いったい何をする人なのかを定義しなくてはならない。定義できないトリッキーな言動をするのが道化の仕事である(特にジョブ型が導入されている会社で、ジョブディスクリプションに「職務内容:道化」と書くわけにもいかない)。

 また、会社における道化はその組織やトップを絶対に裏切らない人物でなければならない。どんなに厳しい状況に陥っても、他社に転職したりしない。最後まで会社とトップを支える覚悟がなければならない。

 優秀な人には多くの転職の選択肢がもたらされる現代にあっては、このような殊勝な人材を見つけることは至難の技であろう。

 このように考えてくると、道化のような存在を獲得することは、現代社会の組織においては不可能に近いことのように思われる。表向きは組織の利益をうたいながら実際には自分の利益の獲得に貪欲な人はいくらでもいるが、道化のように本当の意味で組織に献身する者が存在できる社会的・組織的な構造がないからである。