企業の会見で決まって語られる
「声が挙げられなかった」という反省

 マキャベリもまた、その主著『君主論』において、君主が自己の判断に頼りすぎるのではなく、信頼できる助言者からの率直な意見を聞くことの重要性を強調している。そして、その内容は道化の重要性と酷似している。

 助言者は君主に対して率直であるべきであり、君主がそれを可能にする環境を整えなければならないと述べる。君主は、助言者が率直に意見を述べることを許し、逆におべっかや迎合を警戒すべきだと指摘している。

 助言者を選ぶ際には、彼らが君主の利益のために働き、誠実で忠実であることを確認する必要があると言う。助言者が自分自身の利益や野心に動かされている場合、彼らの助言が組織や国家にとって有害になる可能性があるためだ。

君主は、国内から賢人を選び出して、この人たちだけにあなたに真実を語る自由を認めること、しかも、それは君主が下問する問題だけに限って、ほかのことは許さないようにすることである。君主は、そこで諸般のことがらにつき、彼らにたずね、彼らの意見を聞き、そののち、ひとりで自分なりに決断を下さなくてはならない。しかも、こうした助言全体に対しても、また、個々の助言者に対しても、率直に話せば話すほど歓迎されることがめいめいに十分くみとれるように、対処しなくてはならない。(マキアヴェリ『君主論』中公クラッシックスより)

 マキャベリもまた、賢明で率直な助言者を得ることが、君主が有効に統治し、権力を維持するために欠かせないと考えたのである。

 シェイクスピアが言ったから、マキャベリが言ったから、正しいというわけではない。しかしながら、企業不祥事の会見において決まって語られるのは、組織内部の人間がトップに対して声を挙げられず、またトップ側も自分の目や耳が十分に働かない組織を作ってしまったという後悔の弁だ。

 それならば、トップの五感を開かせる存在、そして組織の人々の本音を代弁させる何らかの機能が必要である。

 組織やそのトップは、その発見と育成、処遇の体系を整えて、道化の役割を再興させる必要があるだろう。

 繰り返すが、ここでいう、会社における道化とは、絶対に裏切らない人でありながら、耳の痛いことをトップに直言し、かつ自分のためでなく組織のために献身的に貢献する人のことであり、さらには、そのような役割を組織やトップから託された人のことである。

 この人が一人いることで、数千、数万の人の雇用と生活が守れるのであれば、その発見と育成に多額の投資をしても完全にもとが取れるであろう。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)